余命半年、10歳で亡くなった娘。「微力かもしれないけれど、無力ではない」レモネードで伝えたい小児がん支援【体験談】
昨今、全国各地で小児がん支援のための「レモネードスタンド」が開かれていることをご存知でしょうか? 小川蘭さんは沖縄県うるま市在住で、長女(14歳)、二女のいろはちゃん、長男(10歳)、三女(4歳)、夫の6人家族です。小川さんは2022年の3月に二女のいろはちゃん(当時10歳)を、小児がん「小児脳幹グリオーマ(DIPG)」で亡くしています。いろはちゃんが旅立ってから2年たった現在、小川さんは沖縄県内のイベントを中心にレモネードスタンドを開き、集まった寄付金で小児がん支援を行っています。 【画像】元気だったころのいろはちゃん、ママが大好きでした。 小川さんに、いろはちゃんが亡くなって2年がたった現在の心境や、レモネードスタンドの活動のこと、小児がんについて知ってほしいことをお聞きしました。全2回のインタビューの2回目です。
「いろはのことを話せる場所ができた」小児がん支援が自分自身のケアに
―― 「いろちゃんのそばに行きたかった」という暗黒期を切り抜け、小川さんは「私は二度とこんな思いをしたくない。そんな思いをする子どもを増やしたくない」という思いが強くなっていきました。 「小児がん支援を始めたきっかけは、闘病中の子どもたちが大人になれる未来を作るお手伝いがしたいと思ったからです。いろちゃんはよく『病気になったのがママじゃなくて私でよかった』と言っていました。『ママは子どもがたくさんいて、動物も飼っているから、ママがいなくなったら大変なことになるよ。だから私でよかったんだよ』と言っていたのが、ずっと私の頭の中に残っています。 人って時がたつと自然にそのときの感情や記憶が薄れていって、それぞれが日常に戻っていきます。時がたち、いろちゃんが亡くなったことや存在がだんだんと薄れていく一方で、私は自分の娘なのにいろちゃんのことを話せる場所がどこにもありませんでした。いろちゃんのことを話してもだれもが返事に困ったような顔をするので、どこでいろちゃんのことを話していいのか分かりませんでした。しかし、私が小児がん支援でいろちゃんの存在を伝え続けることで、いろちゃんが亡くなったことに意味が生まれます。そうすると私も『死にたい』と思うより、同じような境遇を持つ家族に寄り添えたらと思うようになりました。小児がん支援は、自分自身のグリーフケアにもなっています。 私と同じように『だんだんまわりが亡くなったわが子のことを忘れて行くけれど、何もなかったことになるのが苦しい』など、子どもが亡くなってからも長い間苦しんでいる方がたくさんいます。私自身今でも『なんで、いろちゃんだったんだろう』『何がいけなかったんだろう』と何度も考えてしまうことがあります。『大人になったら獣医さんになりたい』と言っていたいろちゃんの未来が奪われるように、今も多くの子どもたちが未来を断たれ、どれだけ大きく心を揺さぶられているだろうと思うと本当に胸が苦しいです。小児がん支援を続けることによって、致死率100%の“小児脳幹グリオーマ”が生存率30%ぐらいの可能性でも治すことができる治療法が見つかればと思っています」(小川蘭)
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