清原和博が「もっと早く出会えたら」と慕う名伯楽。「選手と向き合う熱さは何歳になっても変わらない」
今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。 【写真】独立リーグで戦う元メジャーリーガー 開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。 今回は、1983年のコーチ転身以来、広島、巨人で多くの一流選手を育ててきた名伯楽の奮闘を紹介する。(全15回連載の9回目) ■清原和博ら多くの一流選手を指導 まだ6月末なのに強い日差しと暑さの中、バットを片手にグラウンドを忙しなく移動して指導するコーチがいた。老練な雰囲気が全身から漂う。帽子を被り濃い色のサングラスをかけていたのですぐにはわからなかったが、見覚えのある風貌。少しして、内田順三コーチだと気付いた。プロ野球の歴史に名を刻む名伯楽だ。 「私は静岡県の三島市生まれで、東海大一高(現・東海大静岡翔洋)OBなんです。NPBのコーチ時代はこのグラウンド(ちゅ~るスタジアム清水)にも二十数年、毎年12月に野球教室に呼ばれて来ていました。そうした縁もあって、静岡出身の山下大輔GM(清水東高OB)と赤堀元之監督(静岡高OB)とともに、球団社長から声がかかりました。 古くから付き合いのあるメディアや野球関係者からも『地元静岡に貢献できる良い機会でもあるし協力してはどうか』と後押しされたこともあって、『常駐は難しいですが、毎月10日程度ならば』という私の申し出にご理解をいただき、打撃アドバイザーという肩書きでコーチを引き受けることにしました」 今年9月10日で77歳になった内田コーチは、35歳で現役引退(1982年・広島)すると、翌1983年シーズンからは広島の2軍打撃コーチ補佐に就任し、指導者としてのキャリアを開始させた。 以降は広島と巨人を行き来するような形で37年間一度も途切れることなく、2019年シーズンまでNPBの指導者として活躍した。教え子を挙げればキリがないので割愛するが、巨人時代に師事した清原和博は、内田コーチの著書『打てる、伸びる!逆転の育成法』(廣済堂出版)収録の対談でこう言っている。 「僕は、プロ野球人生に後悔はないですけど、内田さんにもっと早く出会えて、内田さんの考えや理論を必死になって実践できていれば、もっとホームランを打てたんじゃないか、と思います。そこに関しては、悔いがありますね」 球界を代表する数多くの選手から慕われる名伯楽が、アドバイザーという肩書きとはいえ、70代後半という年齢にもかかわらず今も現場で、しかも誕生したばかりのチームで奮闘している。くふうハヤテというチームについてどう見ているのか。孫のような年齢の若い選手たちとどう向き合っているのか。