清原和博が「もっと早く出会えたら」と慕う名伯楽。「選手と向き合う熱さは何歳になっても変わらない」
練習開始前、グラウンドに集合して円陣を組んだ選手たちに対して、内田コーチが厳しい口調で話していた。温厚だった表情は一変。身振り手振りで怒りの感情をあらわにして話し続けた。明らかに雷を落としている雰囲気。しばらくしたのち内田コーチの話が終わると、選手全員揃って腹の底から声を出すように「ハイッ!」と大きな返事をして練習が始まった。 「『グラウンドで移動するときは歩くな、走れ!』と話しました。これから一日の練習が始まり、指導するために待つ監督やコーチはどう受け止めるか。これは野球選手としてというよりも、社会人としての礼儀であり、とても大切なことです。 私はぬるい雰囲気は嫌いなの。どちらかといえば熱い性分だから。熱いメッセージをどんどん発信して、反発する選手がいれば指導すればいい。反発できないような選手に対しては、積極的になれるように方法を考えて向き合えばいい。選手と向き合う熱さは、何歳になっても変わりません。今は大声で叱れば、すぐにパワハラと言われてしまう時代です。でも私は必要と思えば大声も出します。 個人のプレーの失敗は助言してやればいい。でもチーム全体にマイナスになるような行動をすれば叱らなければいけない。それをしないまま見過ごすことは、私の野球観にはありません。今の時代に合わせることも大事ですが、それがすべてではない。それに選手も、40代の血気盛んな若いコーチから大声で叱られたら腹も立つかもしれませんが、77歳になろうかという爺さんから言われても、腹は立たないと思います(笑)。親父が怒れば母親がなだめるように、別のコーチが後でフォローしてくれると考えて伝えるようにしています。 ただ、私もコーチになりたての頃は、まさに昭和の野球でした。手を抜けば怒鳴りつけたり、時には蹴飛ばしたこともありました。でも昭和と平成そして令和では当然、指導方法や選手との向き合い方は変化してきました。昭和のスタイルのまま指導していたら、私もここまで長く指導者として求められることはなかったはずです」 1983年に指導者に転身して今年で42年目。そんな内田コーチから見て伸びる選手、プロ野球で活躍できる選手とはどんな選手か、自身の指導者として大切にしてきたことと併せて聞いた。 (つづく) ●内田順三(うちだ・じゅんぞう) 1947年生まれ、静岡県出身。東海大一高、駒澤大を経て1969年ドラフト8位でヤクルト入団。のち日本ハム、広島に移籍して82年、35歳で現役引退。同時に広島2軍打撃コーチ補佐に就任すると、以降は広島と巨人を行き来しながら37年間、一度も途切れることなく2019年シーズンまでNPBの指導者として活躍した 取材・文・撮影/会津泰成