「とうとうスズキも倒産か、と途方に暮れた」鈴木修元会長の“大失敗”に手を差し伸べた大メーカーとは?《追悼》
自動車メーカー・スズキの“カリスマ経営者”として長年発展を支えてきた鈴木修氏が、2024年12月25日死去した。94歳だった。鈴木氏は2年前の「文藝春秋」のインタビューで「最も記憶に残っている失敗」を明かしていた。 【画像】文藝春秋のインタビューに応じた鈴木修氏 ◆◆◆
「こんちきしょう」が大切
――鈴木さんは元々、サラリーマンとして働かれていましたが、1958年にスズキの2代目社長・鈴木俊三氏の娘婿となり、同年にスズキに入社されました。ビジネスにおいても、「こんちきしょう」という思いをバネにしてこられた? 鈴木 43年も経営者を続けてきましたから、成功だけでなく失敗もかなり多いです。むしろ私は人よりも失敗が多かったかもしれない。その度に「こんちきしょう。今度こそ頑張ろう」と肝に銘じ、成功した時は「これが当たり前」だと思うようにして、ここまでやってきました。 ――最も記憶に残っている失敗は何でしょうか。 鈴木 何といっても1975年の、自動車排出ガス規制への対応失敗ですね。当時の私は代表権こそないものの、専務として経営の一角を担っていましたから。 高度経済成長下の日本では、急増した自動車の排ガスによる大気汚染が深刻な社会問題となっていたんです。そこで政府は非常に厳しい排ガス規制を導入しました。自動車メーカー各社は、規制をクリアするための技術開発に力を入れていましたが、その中でスズキだけが、新型エンジンの開発に失敗してしまった。 このままでは規制が施行された後には車を一台も作れなくなる。とうとうスズキも倒産か、と途方に暮れていた時、手を差しのべてくれたのがトヨタさんでした。「排ガス規制は自動車業界全体にとって大きな問題だから、今度ばかりはお助けする。だが、早く立派なエンジンを開発して、独り立ちしてほしい」と、エンジンを分けてくださった。 トヨタさんには大変感謝すると同時に、よそさまにご迷惑をかけることはあってはならないし、してはならないと反省しました。ちゃんと売れるものを作って商売をしていこうと、しみじみ思いましたね。 ――会社の存続が危ぶまれるほどの経営危機だったわけですね。 鈴木 不思議なことに、スズキは大体25年周期で、会社存亡の危機に見舞われてきたんです。最初の危機は、1950年の労働争議。この時、私はまだ入社していませんでしたが、会社が倒産寸前まで追い込まれたと聞いています。2度目の危機が、この1975年の排ガス規制。そして3度目の危機は、1998年の軽自動車の規格改定です。その後も色々とありましたが、とてもここではお話しできませんね(笑)。 ただ、苦境に立たされた時こそ、己を見つめなおすチャンスだと思っています。大切なことは、過去の危機の経験から学び、いかに次世代に伝えていくかということです。