本郷和人『光る君へ』道長ついに死す。その墓がどこにあるのかというと実は…。<ある病>による視力低下と胸病に悩まされた道長の晩年
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマがクライマックスを迎える中、平安時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まりました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「藤原道長の晩年と臨終」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし! 『光る君へ』<最後の5分間>の考察止まらず。なぜ鳥籠が崩れた?なぜ乙丸・いとの呼び方が「お方様」から「姫様」に?視聴者「2回目の視聴で気づいたが…」「実はまひろも…」 * * * * * * * ◆大団円を迎えた『光る君へ』 先日、大河ドラマ『光る君へ』はみごとに大団円を迎えました。 正直なことを言うと、ぼくはドラマが始まる一年前に「大丈夫かな?」と心配していました。 平安宮廷社会というのは、現代人にはかけ離れた空間です。衣食住すべてにおいて、それに人の精神も行動も、理解が追いつかない部分が多くあります。 ドラマは共感が命なのに、視聴者がついていけないんじゃないか、と危惧していたのです。 ところが、ところが。 素人判断は杞憂に終わりました。視聴率などの細かい数字は知りませんが、何よりぼくの周囲には、賞賛の声が溢れています。 戦国時代もしくは幕末を舞台とする「男ドラマ」であれば、歴史小説はあるし、類似のドラマがあるし、大河ファンなら工夫のしようは思いつく。でも今作は先例がなかったのです。 道なきところに新たに道を切り拓いた。そこが素晴らしい。 演者・演出・脚本家をはじめとするみなさんの努力は、高く評価されるべきでしょう。休日の夜のひとときを、楽しい時間にしていただき、ありがとうございました。
◆藤原道長の晩年と臨終を振り返る それでは今回は『光る君へ』最後の感想記事にふさわしく、藤原道長の晩年と臨終とを振り返ってみましょう。 1019年(寛仁3年)はじめ、53歳前後の道長は視力の低下と胸病の発作に悩まされていました。これは彼が患っていた慢性的な糖尿病が原因と思われます。そのため3月、彼は自邸の土御門殿で出家し、貴族としての生活にピリオドを打ちます。 中級以上の貴族の子弟は10代前半に元服すると、従五位下の位階を授かり、然るべき官職に就きます。そこから彼の貴族人生は始まるわけです。 年月が流れやがて彼は引退すると、官職を返上します。 たとえば中納言で引退すると、彼は「前(さきの)中納言」となる。ただし位階は元のままです。その人の等級としてついて回る。 彼が位階から解放されるのは、出家したとき、もしくは亡くなったとき、となります。
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