岡崎友紀『おくさまは18歳』こぼれ話。撮影直前「飛鳥」から変更になりかけた役名とは?「石立鉄男さんらのセンスがあってあの世界が完成した」
1970年、最高視聴率34パーセントを記録したテレビドラマ『おくさまは18歳』が放送されてから50年以上の時が流れ…。飛鳥役を演じ、昭和芸能界の国民的アイドルとして一世を風靡した岡崎友紀さんは、70歳を迎えました。岡崎さんは、歳を重ねることについて「私ったらほとんどの時間、自分が『老人』ということは忘れているんですよね」と語っていて――。今回は、岡崎さんの45年ぶりの書き下ろし著作『なんたって70歳! ― だから笑顔で生きる』より一部引用、再編集してお届けします。 【イラスト】岡崎さん描き下ろし!『おくさまは18歳』の世界 * * * * * * * ◆『おくさまは18歳』こぼれ話 少年少女も、若いカップルも、新婚さんも、そしてそう若くもない人まで、飛鳥と哲也の秘密がバレないか、いやいっそバレちゃったらいいのに、とヤキモキしながら、そして大笑いしながら楽しんだ、『おくさまは18歳』。 最高視聴率が34パーセント(だったらしい)という高視聴率のドラマでしたので、そんな時代を懐かしむ世代は、私をよーくご存知ですね。 その後も全国各地で、そしてプラス海外でも、時間差で放送されていたようで、そんな再放送を楽しんでいた世代もいるみたい。 また、その時代を知らなくても、今はネットで見ることができたりするから、ますます時を超えた永遠の18歳になってしまいそうで、70歳のリアル岡崎友紀は戸惑うばかりの今日この頃なのでございますのヨ。
◆出演を決めたきっかけ この作品に出演を決めたのは……ある日所属事務所の社長に呼ばれて、彼のデスクに積み上げられた、『岡崎友紀』の出演オファーのために送られてきたテレビ局や制作会社からの企画書の山を見せられました。 そして、その中から自分でやりたいと思う作品を選んでほしい、と言われました。 そこで、私はうず高く重ねられた企画書を一冊一冊手にして、目を通していきました。その中で見つけたのが『おくさまは18歳』だったのです。 私は見たことはありませんでしたが、原作は本村三四子さんの『週刊マーガレット』の人気連載少女漫画で、設定はアメリカのハイスクール、主人公の名はリンダ、夫の名前はリッキーと説明がされていて、脚本は佐々木守さんと記されていました。 この原作と脚本の二つの情報だけでも、私が求めている『アメリカンライトコメディ』の匂いがして、面白い作品になるのでは?という予感がしました。そして迷わず「これ!」と選んだのです。 『おくさまは18歳』から岡崎友紀を知った人が増えたのは確かです。でも、それがデビューなのだろうと勘違いしている人がいるのはちょっと困ります。 もちろん、それだけ視聴率が高く、たくさんの人達から愛された番組だったということではありますが、『岡崎友紀』は既にその前に、NHKの1年間のドラマに主演し、レコードも出している歌手でもあり、レギュラーのドラマやクイズや、『巨泉・前武ゲバゲバ90分』に代表されるバラエティ番組や、NHK『おたのしみグランドホール』やNET『9時のビッグヒット』などのゴールデンタイムの司会番組も持ち、月刊誌に映画評論やエッセイのページも連載し、グラビア撮影にも追われ、テレビ局のスタジオ、撮影所、ラジオ局、写真スタジオ、などなどを駆け巡り、目の回るような多忙を極める日々でした。 つまり、そんな岡崎友紀の新たな番組を制作して、高い視聴率を狙いたいというメディアから、何十冊もの新番組の出演依頼の企画書が殺到していた中の一冊が『おくさまは18歳』だったというわけなのです。
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