開通時の利用者は一日数十人、でも「高野フルーツパーラー」の前身はあった!
50年前の新宿駅
いまから50年ほど前、筆者は中央線沿線の大学に通っていた。通学定期券の有効区間には新宿駅も含まれていたから、よく途中下車したものである。 1日4万回叩く…行平(ゆきひら)鍋の「国宝級職人」が大阪にいはった! そのころの新宿駅は5面のホームを擁し、1~10番線まであった。1・2番線は中央線の優等列車用で、1966(昭和41)年から運転を始めた特急〈あずさ〉をはじめ、急行〈アルプス〉〈かいじ〉といった列車が出入りしていたが、学生にとって周遊券で乗れる急行はともかく、特急はまだ大衆化の途上だったから、このいちばん端のホームの記憶はうすい。 特急〈あずさ〉といえば、“狩人”が1977(昭和52)年に歌った『あずさ2号』が有名だ。「♫8時ちょうどの〈あずさ2号〉で……」と歌詞にある松本行き(季節により白馬まで延長)の列車だけれど、1976(昭和51)年4月の『時刻表』によれば、新宿駅の発車ホームは5番線だった。 当時、列車の号数は上り・下りを問わず1、2、3……と付けていたので、下り列車にも“2号”が存在したのだが、その後、号数表示は上り偶数、下り奇数に改められたため、〈あずさ2号〉は上りのみとなってしまった。さらに現在は、同じ系統を走る特急〈かいじ〉と共通の一連番号を与えているので、〈かいじ2号〉〈あずさ4号〉……、という具合である。ちなみにいま、新宿8時ちょうど発の列車は〈あずさ5号〉。2号と語呂は一緒だ。 50年前の新宿駅にもどると、3番線と5番線がやはり中央線の甲府・松本方面ゆきに充てられ、4番は中央線の上り快速、6番が同下り快速、7番に中央線緩行の御茶ノ水・千葉方面ゆき、8番山手線内回り、9番同外回り、10番線が中央線緩行の三鷹方面ゆきだった。5番線には例外的に、総武線方面へ向かう急行〈犬吠)や〈内房〉〈外房〉の名も見える。 現在の新宿駅はどうか。ホームは1番から16番線までの8面体制である。1~4番線に埼京線・湘南新宿ラインが発着し、5・6番が〈成田エクスプレス〉や東武線直通特急用、7・8番を中央線上り快速が使い、9・10番が中央線特急、11・12番に中央線の下り快速、そして13番以降は50年前の番線に6を加えた形態だ。かつての1番線の東側に広がっていた貨物側線の用地にホームを3面増設した結果である。 新宿駅の発展史を創業時にさかのぼって追ってみよう。