BYD、“パクリメーカー”の汚名を返上し「リチウムイオン電池」で大成長 その背後にあった「非特許技術」の活用とは
王氏の先見と成功戦略
中国の電池メーカーが驚異的な成長を遂げ、世界最大の電気自動車(EV)メーカーとなった比亜迪(BYD)。その飛躍的な躍進は世界に衝撃を与えた。同社の創業者・王伝福氏は卓越した洞察力とユニークな経営手腕を発揮し、この成長を導いた。同社は、電池事業で培った「人とテクノロジーの融合」の生産方式を武器に自動車業界に参入。2005年に発売した「F3」は瞬く間に中国市場を席巻。各国の政府の後押しもあり、急成長を遂げた。本連載では、BYDの急成長の要因を分析し、その実力を明らかにしていく。 【画像】えっ…! これがBYDの「創業者」です(計15枚) ※ ※ ※ 連載第1回となる前回の記事「進撃のBYD! 最近CMでおなじみも、創業者はどのような人物なのか? 逆境を超えた“電池王”に迫る」(2024年6月16日配信)では、王氏の経歴とBYDの事業戦略の概要について紹介した。その急速な成長を支えているのは、電池業界における革新的な取り組みだ。しかし、その詳細はあまり知られていない。今回はBYDがどのようにして電池メーカーとしてスタートし、充電池市場に革命を起こし、急成長を遂げたのかについて詳しく見ていきたい。 王氏がBYDを創業した1995年、世界の二次電池(蓄電池)市場は大きな変革期を迎えていた。ニッケルカドミウム電池からリチウムイオン電池へのシフトである。 リチウムイオン電池は1991年にソニーが初めて商品化したものだ。以降、日本企業各社はリチウムイオン電池生産へのシフトを本格化した。携帯電話などの小型電子機器の急速な普及とあいまって、市場は拡大していた。その市場はほぼ日本企業に占められていた。 一方、当時の中国の電池産業は、日本に大きく後れをとっていた。データによると、1990年代半ばの中国国内には、リチウムイオン電池はおろか、ニッケルカドミウム電池すら生産できる技術を持つ企業が存在しなかった。この技術的な遅れは、中国の電子機器産業の発展を大きく阻害する要因となっていた。 このような厳しい状況のなか、王氏は独自のビジネスチャンスを見いだした。先進国ではリチウムイオン電池へのシフトが進んでいるが、技術的に遅れている中国では、ニッケルカドミウム電池の潜在需要がまだ大きいと考えたのだ。王氏はこの未開拓の市場に焦点を当て、独自の技術と生産方法で勝負することを決意した。