BYD、“パクリメーカー”の汚名を返上し「リチウムイオン電池」で大成長 その背後にあった「非特許技術」の活用とは
オープン技術での市場進出
こうして、生産ラインの開発は3年間にわたって進められ、BYDはついにリチウムイオン電池の大量生産体制を確立した。最小限の投資で最大限の成果を上げるという生産哲学が、リチウムイオン電池事業の成功の源となった。 さらに、BYDは「非特許技術の活用」という独自の戦略で他社との差別化を図った。王氏は次のように述べている。 「ある新製品の開発は、実際60%は公開の資料から、30%は既存の商品から、5%は原材料などから、独自の研究は残りの5%しかない。われわれは非特許技術をたくさん使っている。特許技術を除いて、非特許技術を組み合わせることはわれわれのイノベーションだ。特許は尊重するが、回避もできる」(徐方啓「中国一電気自動車メーカー BYDの競争戦略」『商経学叢』第62巻第1号) BYDの戦略は、オープン技術を活用することで、より柔軟かつ迅速な製品開発を実現することだった。これは、特許を軽視するという意味ではない。特許を回避するために、自由に発想し、イノベーションを生み出すことができるのだ。 こうしたイノベーション思考にもかかわらず、当初、BYDは中国でありふれていた、技術を盗用して製品を製造する、倫理観に欠けた 「パクリメーカー」 の一員として疑いの目を向けられていた。その結果、リチウムイオン電池市場に参入して間もなく、相次いで特許侵害の訴えを受けている。
裁判で示された技術力
2002年9月、三洋電機の米国子会社である三洋エナジーは、BYDとその米国子会社を相手取り、リチウムイオン電池の特許侵害による損害賠償を求めて連邦地方裁判所に提訴した。これに対し、BYDは法廷で侵害の事実を否定した。 そして2003年7月、ソニーはBYDのリチウムイオン電池がソニーの特許を侵害しているとして、東京地裁に販売差し止めを求める訴訟を起こした。これに対し、BYDはソニーの特許が申請前にすでに公開されていたことを証明する証拠を入手し、反論した。結果、2005年2月16日、三洋電機はBYDに和解案を提示し、BYDはこれを受け入れた。 同年11月7日、日本の知的財産高等裁判所はソニーの特許を無効とする判決を下した。いずれの訴訟もBYDの勝利に終わった。 訴訟の勝利は、BYDの高い技術力を証明する出来事であった。しかし同時に、この経験からさらに独自のイノベーションを生み出すことの重要性を認識した。 BYDは、人海戦術による低コスト生産と独自技術の開発により、電池業界の頂点に立った。その根底には、効率性を徹底的に追求する柔軟な発想と、オープンイノベーションを貫く独立自尊の精神があった。 こうして、BYDは世界の電池業界をリードする企業となった。同社の成長物語はここで完結したかに思われた。しかし、同社の視野はさらに先を見据えていた。それがEV市場への参入だったのである。
川名美知太郎(EVライター)