ユナイテッドの本命は香川ではなかった? レヴァンドフスキが2012年夏の移籍劇の裏側を告白
指揮官はストライカー獲得を熱望
2012年夏、香川真司がボルシア・ドルトムントでブンデスリーガ連覇(2010-11、2011-12)とDFBポカール優勝(2011-12)に貢献した活躍が評価されてマンチェスター・ユナイテッドへとステップアップを果たしたことは、日本サッカー史上最大のサクセスストーリーとして大きく報じられ、さらに欧州各国のクラブが日本人選手の獲得に目を向ける転機をもたらした。 魔法の夜! 香川ら擁するドルトムントがバイエルンに快勝した2012年DFBポカール決勝 しかし、当時ユナイテッドで指揮を執っていたサー・アレックス・ファーガソン氏が獲得を最も熱望していたのは、実は香川ではなく同僚のロベルト・レヴァンドフスキだったようだ。 レヴァンドフスキは、ユナイテッドに12年間在籍したリオ・ファーディナンド氏のポッドキャスト『Rio Ferdinand Presents』に出演した際、「ファーガソン氏と会話したことを覚えているよ。あれは2012年のプレシーズン中だった。彼が電話してくるのは分かっていた」と12年前にファーガソン氏が自ら連絡してきたことを告白した。 さらに、「僕はとてもナーバスになっていた。でも、自分が言うべきことは理解していた。『はい、ユナイテッドに行きたいです』だよ。ファーガソン氏から電話が来たら、ノーとは言えない。僕はドルトムントで幸せだったけど、ユナイテッドは黄金期だったからね」とも語り、ファーガソン氏の説得を受けてレヴァンドフスキ自身も移籍に前向きだったことを明かした。 しかし、ハンス・ヨアヒム・ヴァツケCEOはじめドルトムント首脳陣はレヴァンドフスキの移籍を容認せず、結局同選手はバイエルン・ミュンヘンに移籍するまでさらに2シーズンをドルトムントで過ごすことになった。 「彼らは、『君のことが必要だから移籍させるわけにはいかない』と言っていた。当時は相応しいタイミングじゃなかったんだ」 レヴァンドフスキの引き抜きに失敗したユナイテッドは、その後ターゲットを変更し、香川とロビン・ファン・ペルシを獲得したというのが当時の真相のようだ。
構成/ザ・ワールド編集部