品川の高級住宅街になぜ博物館? 「翡翠風呂」が名物、館長は“75歳・フィルタ製造社長”
翡翠原石を見つけるために私有地を買収
会社を立て直すことに必死だった日々のなか、「もっと大きくて美しい翡翠原石を見つけたい」という想いは変わらなかった。 30代後半のときには、自社製品の営業も兼ねて、世界最大の翡翠の産地といわれるビルマ(現ミャンマー)に渡った。軍事政権下のなか、軍事関係者と意気投合して発掘現場へ買い付けに訪れたこともあった。 国内においても、忙しい仕事の合間を見ては糸魚川へと足を運べるようにもなってきた。そして、事業が軌道に乗り始めた、2000年前半頃。長年想い続けてきた願いが、ようやく叶うことになる。 糸魚川周辺の私有地を思い切って買収したのだ。いざ、パワーショベルで掘り起こしていくと、巨大な原石がどんどん発掘された。 とはいえ、問題は掘り起こした原石をどこに置くかだった。 悩んでいた矢先、自宅近くにあるイタリアの照明器具を展示するショールームが取り壊され、さらに敷地にある桜も伐採されて更地となる話が耳に届いた。桜を残したいという想いもあって、今度は敷地も購入することにした。 いいタイミングで新しい建物が見つかったこともあり、この建物に原石を運び、2004年に翡翠原石館として開館した。
お金は手段、あの世には持っていけない
75歳となった現在も糸魚川には度々通う。さらに、原石を求めて、イギリス、フランス、アメリカ、ベトナムなど世界中を飛び回っている。 つい最近も、「タンザニアでルビーの原石が出た」と聞くやいなや、すぐに飛行機ですっ飛んで行ったという。 「20代から大赤字の会社を継ぎまして、必死に働いているうちに30代、40代があっという間に過ぎていくわけですよ。 なので、一生なんてすぐ終わっちゃう。お金はあの世に持っていけないですから、好きなことをどんどんやって行かないとと思いましてね」 まだまだ、翡翠原石館の進化は止まらない。 道路を挟んだ向かいでは、2号館の準備が進められている。翡翠以外にも、世界中から集めた鉱石、さらにはメトロポリタン美術館にあったコローの名作など、絶滅危惧種的な絵画や彫刻など30年かけて集めた作品などが展示される。開館の詳細な時期はまだ未定だが、「もう間もなく」とのことだ。2号館の開館、そしてこれからの靎見さんの活躍が楽しみでならない。 靎見さんの名刺には「糸魚川翡翠を未来に!」という言葉が記されている。翡翠原石館は、糸魚川の翡翠を後世に伝え遺し続ける、意義深い博物館となっていくだろう。
丹治俊樹