品川の高級住宅街になぜ博物館? 「翡翠風呂」が名物、館長は“75歳・フィルタ製造社長”
名物は「翡翠風呂」
なかでも1番の目玉は、超巨大な翡翠原石をくり抜いて作られた「翡翠原石風呂」だろう。 浴槽のみならず、床や壁面、さらには湯の注ぎ口、扉の取手に至るまで、ありとあらゆる部分に翡翠が用いられている。 あまりにも豪華すぎる風呂場であり、日本のみならず、世界を探してもここでしか見られない圧巻の光景だ。 ひょんな遊び心をきっかけに、糸魚川で購入した土地から超巨大な翡翠原石を運ぶことから工事は始まった。 ダンプに積まれた原石は、茨城の石切り場で浴槽のサイズにカットした。石切り場までの輸送では、橋がダンプの重量制限をオーバーしていたことから、大胆にも橋を工事することとなった。 これだけの贅沢を極めた風呂場なだけに、「浴槽に浸かったらどんな気分になるだろうか」と思う人も多いはず。 靎見さんは、年に数回ほど孫とこのお風呂に入る。翡翠が熱を吸収してしまうので、80℃のお湯を注ぎ、60℃まで冷ましてから入浴するという。 靎見さん曰く「お湯と体内の水分が一体になり、精神が浮遊しているような感じがする」そうだ。 お湯の注ぎ口には、風呂場を作っていた時期に夢に出てきたという不動明王が佇む。入浴時には蒸気で綺麗な緑色になるそうだ。 ただし、来館者は入浴できないのでご注意を。
父の死後に借金だらけの会社を背負う
これだけ奇抜な博物館を運営する靎見さん。翡翠原石館を開いた理由は、いち社長の豪勢な趣味の延長ではない。 そこには、幼い頃から石好きだった少年が持ち続けた、翡翠への強い憧れ、さらには翡翠を後世に遺したいという想いがあった。 1949年(昭和24年)、東京の中野生まれ。小さい頃から石ころが好きだった靎見少年は、スコップ片手に、東京中を掘り起こしては鉱物や化石を集めていた。 その中でも靎見さんの心を掴んだのが、縄文人が身に付けていたであろう翡翠だった。 翡翠といえば、新潟県の糸魚川が有名な産地として知られている。子どもの頃から憧れをもち続け、ついに大学時代に初めて糸魚川に足を運んだ。 ところが、翡翠原石を自力では見つけることができず、タバコ屋のお姉さんから小さい原石をもらったというほろ苦い初訪問だった。 翡翠を追い求めていた靎見さんだが、大学4年生のときに大きな転機が訪れた。父が経営していたフィルタ製造の会社が傾き、大きな借金を抱えたまま亡くなってしまったのだ。4人兄弟ではあったが、他の兄弟はすでに職があったことなどから、会社は靎見さんが継がざるを得ない事態となった。 そうなると、もはや翡翠どころではない。会社は大赤字なだけに社員を増やすことはできず、できることは全て自分でやるしかなかった。ひとり社員状態のなか営業回りを続け、その傍らでフィルタの注文が来ると、段ボールに商品を詰めては自らの手で商品を届ける日々。 「あのときは、日々会社を生かすことで必死でした。数年先だってどうなってるか分からない状態でしたから、あと何年生きれるかと思いながら生きてましたね。 おかげで強くなったし、大概のことではビクともしなくなりました」