齋藤学「10」は空き番の横浜F・マリノス。電撃移籍は背信行為だったのか?
次のシーズンにはいなくなることが確実な選手を、なぜ使わなければいけないのか、という視線にさらされる。サッカーのレベルだけではなく、クラブへの忠誠心という概念でもヨーロッパに大差をつけられていることになる。 世界的な観点から見れば、昨年2月に齋藤が結んだ単年契約を、プレミアリーグのマンチェスター・シティFCなどを傘下にもち、少数株主ながらマリノスの経営にも参画している世界的なサッカー事業グループ、シティ・フットボール・グループ(CFG)はポジティブにとらえなかっただろう。 おそらくは昨シーズンの半ばから、マリノスとの契約延長へ向けた交渉が開始されていたはずだ。しかし、齋藤は昨年9月23日のヴァンフォーレ甲府戦で右ひざを負傷。前十字じん帯損傷で全治8ヶ月の重症と診断され、いま現在も懸命なリハビリを続けている。 しかも、離脱するまでの25試合でわずか1ゴールと、数字上では大きく成績を下落させていた。日本よりもドライとされる外資の評価が入るなかで、齋藤側が満足できる条件が提示されず、交渉がデッドラインを迎えたことも今回の移籍につながったと見ていい。 地元川崎市出身で、契約が満了となる齋藤に対して2年連続でオファーを出したフロンターレ側にまったく非はない。移籍そのものも正当なルールに則っているし、選手側にもプレー環境を変えられる自由が認められている。 齋藤としても、財政的な問題もあって設備が整ったマリノスタウンから撤退し、サッカーを取り巻く環境が急激に悪化したマリノスに対する不安や不満を抱いていただろう。 それでも、今回の移籍にどうしても後味の悪さを覚えてしまうのは決定に至るはるか前の段階、要は昨年にマリノスと結んだ契約によるところが大きい。 ヨーロッパに倣えというのであれば、選手、送り出す側、迎え入れる側、そして代理人を含めた、関わる者すべてがウィンウィンの関係になれる環境や考え方を、クラブだけでなくJリーグ、日本サッカー協会もまじえて早急に取り入れる必要があると教えられた一件だった。 (文と写真・藤江直人/スポーツライター)