『ルックバック』が宿すアニメーションの21世紀性 令和の『まんが道』が示すものとは
「「絵を描くこと」を描くアニメ」=メタアニメの現代性
押山が手掛けた『ルックバック』は、藤本の原作マンガの物語や画風をかなり正確に踏襲しており、通常の意味でのマンガのアダプテーションとしても優れている。 しかし今回、アニメーション化した『ルックバック』を観た時に改めて気づかされるのは、本作が示すアニメーション表現としての類稀な現代性だった。ここでは、主に近年のアニメーション論の知見を参考にしながら、アニメーションとしての『ルックバック』の注目ポイントを整理してみたい。 たとえば、本作の物語は、いうまでもなく藤野と京本の描くマンガ制作が主軸になっている。物語の冒頭では自室で一心不乱に机に向かって絵を描いている藤野の背中が登場した後、スクリーンには彼女が描いた4コママンガ――いかにも小学生が描いたようなタッチの――がアップでインサートされ、アニメーション化されて動き出す。しかも、この作品で監督の押山は、「描き手の気持ちがそのまま画面に乗ることを期待して」(劇場パンフレットの藤本タツキとの対談での発言)、通常なら動画マンがクリーンナップして整える原画をダイレクトに映像に載せる手法を取っており、その結果、独特のエモーショナルな「手描き感」が感じられる作画になっている。 したがって、アニメ『ルックバック』は(もともと原作マンガにもその要素はあったが)作中でキャラクターたちが描くマンガと作中世界の表現が二重写しになり、「“絵を描くこと”を描く絵=アニメーション」――つまりは、一種の「メタアニメ」というべき趣向を必然的にまとうことになる。 こうした「アニメの自意識」を露呈させるような作品は、拙著『新映画論 ポストシネマ』(ゲンロン)でも論じた『この世界の片隅に』や、湯浅政明監督のテレビアニメ『映像研には手を出すな!』(2020年)など、ここ10年ほどの間に目立ってきている。あるいはそれは、2010年代を通じて、一方で新海誠や山田尚子のように、擬似実写的でフォトリアルなレイアウトやエフェクトが目立つアニメが人気を得た一方、古くは高畑勲の『かぐや姫の物語』(2013年)に始まり、特に2020年代に入ってから、岩井澤健治の『音楽』(2020年)など、さらには、川瀬巴水の新版画にも着想を得たという『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2021年)も含めて、そうしたデジタル的な表現の反動を思わせる、アナログ的な手描きスタイルを全面に出す作品も存在感を示してきたこととも関係している。 しかもこれは、実写映画の分野でも、ほぼ同じ時期から「映画や舞台を作ることを描く映画」(一種のメタ映画)が注目されることとも共通するが、以上の「メタアニメ」が現れてきていることの背景には、やはりデジタル化をはじめ、より近年ではロトスコープやモーションキャプチャ、生成AIまで、21世紀に入ってアニメーションの作り方が大きく変化していく中で、「アニメーションを作ること」それ自体を再び問い直すという時代の思潮が反映しているように思われる。『ルックバック』も、明らかに似たような手触りが感じられる作品に仕上がっていた。