ザ・マッカランのウイスキーを片手に聴く「スコットランド交響曲」【指揮者・野津如弘の音楽と美酒のつれづれノート】
クラシック音楽と美酒。指揮者・野津如弘が、交錯する時間芸術の楽しみを自在に綴る。今回はメンデルスゾーンの「スコットランド交響曲」。人生の旅路の星霜を経て完成した名曲を、彼の地の酒、ザ・マッカランのウイスキーを片手に聴いてみてはいかが? 指揮者・野津如弘の音楽と美酒のつれづれノート(画像)
青年メンデルスゾーンの、スコットランド旅行
1829年4月、20歳のフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)はベルリンからロンドンへと向かっていた。ひと月ほど前の3月11日にバッハの《マタイ受難曲》の復活公演を成功させた青年音楽家は、「グランド・ツアー」ばりに見聞を広め、かつ作曲家として国外で売り出すための大旅行へと出たのである。 ハンブルクから意気揚々と船に乗り込んだのはよいが、エルベ川を下って北海へ出たところでひどい悪天候に見舞われ、イギリス到着までの3日間にわたって船酔いに苦しめられたという。しかし、ロンドンでは旧友のクリンゲマン、そしてかねてよりメンデルスゾーンを目にかけていた巨匠モシュレスが暖かく出迎えてくれ、毎晩のように劇場や音楽会、舞踏会に連れ出した。家族への手紙でフェリックスはロンドンでの日々を生き生きと伝えている。 富裕なユダヤ人銀行家の家に生まれた彼は、子どもの頃から各分野一流の家庭教師たちによって教育され、幅広い教養を身につけていたので、瞬く間にロンドンの社交界で人気者となった。そればかりでなく、音楽家としても5月末には交響曲第1番を自身の指揮で披露する機会を得て、華々しくデビューを飾ることができた。ピアニストとしてのデビューも大成功で、音楽家として生きていく手応えを感じ、自信を深めたことだろう。 夏を迎えると、彼はクリンゲマンとともにスコットランドの旅へと出た。その当時、古代の盲目の詩人オシアンがゲール語で遺した詩をスコットランドの詩人マクファーソン(1736-1796)が「発見」し英訳したとされる詩集や、同じくスコットランドの詩人・作家ウォルター・スコット(1771-1832)の歴史小説がヨーロッパで流行しており、スコットランド旅行はちょっとしたブームとなっていたのだ。 「ウイスキーを持った女中が、私達を出迎えてくれました。空には雲が、うら寂しく流れています。風や雨の騒々しい音、召使い達の会話、戸のバタンとしまる音が聞こえるにもかかわらず、静かです! 静かで、とても荒涼としています!」と両親に宛てた手紙の中で、フェリックスはこのようにスコットランドの印象を描写している。