後期高齢者となった宇崎竜童「物覚えが悪くなったかも」免許更新で認知機能検査を経験
「あの世でも一緒にいたい」阿木燿子さんの存在
――宇崎さんと阿木さんはおしどり夫婦として有名ですが、人生の終わりを二人で話し合ったりすることはありますか。 宇崎竜童: ありますね。違う次元に移るだけだっていう結論に、お互いなっています。大学時代阿木に一目惚れして交際が始まり、50年ずっと一緒にいて彼女の生き方を見ていると、明らかに僕より人間としてのレベルが高いんです。彼女はきっと天国に行くだろうから、「頼むから、僕があとから死んだとしても、ちゃんとあなたのいる所に連れてってね。そこに導いてください」と言っています(笑)。 もちろん人の死は悲しい。生きてる人間からしてみれば悲しいんですけども、僕ら夫婦としては笑って死にたい。ちょっと申し訳ないけど先に極楽に行かせてもらいます。いまはそういう気分でいます。 僕は阿木との関係を、「前世でも、前前世でも知り合いだったよね? その時恋したよね?」と勝手にそう思っていて、やっと現世で結婚できたんだと認識しているんです。初対面から三日目で「結婚することが決まっています」とプロポーズしたんですけど、あれは正解でした。その彼女とずっと暮らしていますけど、あの時思った感覚はそのまま。だからこの先も、どんな死に方するかはわからないんですけど、あの世でも一緒にいたいです。二人があの世に旅立って、雲の上から地上を見た時に、僕らが書いた歌を誰かが口ずさんでくれていたら最高ですね。先ほど話したように、印税は困った人たちのところに行くわけですから、カラオケでいっぱい歌ってもらえたらなと思います。 ――改めて奥様に残しておきたい言葉はありますか。 宇崎竜童: それはもう「ありがとう」しかないですね。よく長い年月、引っ張ってくれた。だって阿木の言うことを聞いていたら、だいたい間違いなかったですからね。若い頃は逆らって自分の思うようにやったりして、あとで迷惑かけたりしてきたんですけど、特にコロナで四六時中一緒にいるようになってからは、もう一回感謝の気持ちが再認識できました。 最近でも僕は仕事で1日、2日旅に出ることがあり、彼女を家に一人残して行く時は心配になります。マネージャーがいない時なんかは、飼い猫に「面倒を頼むよ」と頭をなでて出かける。でも旅先から家に電話すると、妻に「なんの用?」と言われ、「なんなんだよ」ってなるんですけどね(笑)。まあ夫婦ですから、そういうものかもしれません。 --- 宇崎竜童 1946年、京都府生まれ。1973年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成しデビュー。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』などのヒット曲を生み出し、人気バンドとなる。作曲家としても活動し、夫人で作詞家の阿木燿子さんとのコンビで、山口百恵『プレイバックPart2』など、多くのアーティストへの楽曲を提供。また俳優としても、テレビドラマや映画に数多く出演している。