「負債総額は37億円」…『極悪女王』で話題の「全女」を作った“松永一族”の栄枯盛衰を振り返る 社長の自死に元リングアナ「言葉にならなかった」
稀代の悪役レスラー・ダンプ松本の半生をモチーフにしたNetflix配信ドラマ『極悪女王』が大きな話題となっている。作中でも扱われている1980年代の全日本女子プロレスの人気は凄まじかった一方で、その栄華は振り返ってみれば一瞬の夢のような短さでもあった。あまりに華やかだった“全女”と、それを作った“松永一族”の栄枯盛衰を、キーマンの証言で振り返る。《全2回の2回目/前編を読む》 【現地写真】「今では廃墟に…」37年前“全女”全盛期の5億円施設「リングスター・フィールド」の現在の様子…現役時代のクラッシュ・ギャルズや『極悪女王』キャストの晴れ姿もあわせて見る(50枚超) クラッシュ・ギャルズの引退後、会場に閑古鳥が鳴いた全日本女子プロレス(全女)は、他団体との「対抗戦」に活路を見出そうとした。 長きにわたり、国内唯一の女子プロレス団体として市場を独占していた全女だが、1986年に秋元康プロデュースによる「ジャパン女子プロレス」が旗揚げ。90年代に入ると大仁田厚のFMWに女子部門が設置されたほか、前述のジャパン女子から分派したLLPW、JWPなども誕生。そこで対抗戦が始まったのは、多団体化にともなう必然の流れだったと言える。 もっともこの対抗戦について、全女でリングアナウンサーをつとめた今井良晴氏(故人)は「苦肉の策だったと思います」と証言している。 「女子プロレスは、男子のプロレスと似て非なるものであるというのが会長(松永高司氏)の持論でした。男子プロレスを真似たような対抗戦は、独自の女子プロレスで時代をリードしてきた経営者として内心、忸怩たるものがあったのではないでしょうか」
90年代に入り、急速に悪化した全女の経営
すでにこの当時、全女の経営状態は急速に悪化していた。 バブル時代に手を出した不動産事業は地価の下落で負のスパイラルに陥り、松永高司氏が素人考えで始めた株取引では5億円が消えた。アクセスが悪すぎた秩父の「リングスター・フィールド」では興行を打つこともできず、学生プロレスにレンタルするなどしたが、維持費で赤字が拡大した。 サイドビジネスだったカラオケ店「しじゅうから」の数店舗も利益を生み出すには至らず、北斗晶やアジャ・コング、豊田真奈美らが奮闘した本業の収益も、経営全体を見れば「焼け石に水」だった。 1996年8月、全女は2日間にわたり日本武道館で真夏の2連戦に打って出る。 収益を出せると見たベースボール・マガジン社(『週刊プロレス』を発行)が興行を買い取ったが、客入りは2日間とも惨憺たる結果に終わった。 1万4000人のキャパシティがある武道館に来場した観客は初日、2日目とともに3500人ほどにとどまり、全女だけでも1000万円以上の致命的な負債を抱えたとされる。 「会社(ベースボール・マガジン社)側が何も分かっていなかったということですよ」 そう語るのは、この武道館興行の直前まで『週プロ』編集長をつとめたターザン山本氏である。 「前年の4月、東京ドームで開催したベースボール・マガジン社主催のプロレスオールスター戦『夢の懸け橋』が大成功し、会社は大きな利益を得たわけです。その成功体験がある事業部の人間が、松永会長の話に飛びついて興行を買ってしまった。当時は女子プロレスの人気も完全に下火で、僕が編集長をつとめていた『週プロ』も新日本プロレスから取材拒否を受けたことで部数が大幅に下がっており、もはやかつてのような影響力はなかった」 この負債が決定打となり、給与の遅配が恒常化した全女は1997年10月、2度目の不渡りを出し倒産する。目黒の一等地にあった自社ビルも人手にわたった。
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