“NBA史上最高級”の2003年ドラフトでスターを引けなかったピストンズ。2位指名のミリチッチを当時の選手が擁護「ダーコだけのせいじゃない」<DUNKSHOOT>
2003年のドラフトは、NBA史上最高クラスの豊作年として知られている。全体1位でレブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ/現ロサンゼルス・レイカーズ所属)、3位でカーメロ・アンソニー(デンバー・ナゲッツ)、4位でクリス・ボッシュ(トロント・ラプターズ)、5位でドゥエイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)が指名されるなど、のちのスーパースターが上位を占めた。 【動画】レブロン、カーメロ、ウェイドら大物がズラリ!“史上屈指の当たり年”2003年ドラフト指名選手をプレーバック そのなかにあって、デトロイト・ピストンズが全体2位で指名したダーコ・ミリチッチの格落ち感は否めない。 セルビア出身で213cmのビッグマンは、ルーキーシーズン(2003-04)にピストンズで優勝を経験し、NBAで10シーズンをプレー。ただ、平均2桁得点を記録したシーズンは一度もなく、優勝した2004年のプレーオフは出場わずか8試合(23試合中)でプレータイムも平均1.8分に過ぎなかった。 06年2月には早々にトレードに出され、その後は7年間で5球団を転々。期待されたようなスターにはなれなかったため、もしピストンズがミリチッチではなくカーメロを指名していれば、NBAの歴史が変わっていたのでは、とファンの間で長く語られている。 そうしたなか、当時ピストンズで先発スモールフォワードを務めていたテイショーン・プリンスが、現地時間9月10日に公開されたポッドキャスト番組『Knuckleheads Podcast』にゲスト出演。ミリチッチをドラフトした当時の経緯について語った。 リック・カーライルHC(ヘッドコーチ/現インディアナ・ペイサーズHC)の下、ベン・ウォーレス、リチャード・ハミルトン、チャンシー・ビラップスと主力が揃い始めていたピストンズは、2001-02、2002-03シーズンにいずれも50勝32敗(勝率61.0%)を記録。 2002-03シーズンにデビューしたプリンスは、プレーオフで評価を上げて翌シーズンから先発に定着すると、206cm・96kgと細身の体格ながら、リーグ有数のディフェンダーとして頭角を現わした。プリンスはミリチッチについて、チームは当時在籍していたメメット・オカーの後継として期待していたと語る。 「彼ら(ピストンズのフロント)は将来のスモールフォワードに僕を見出した。そこでダーコに賭けたんだと思う。当時チームにはオカーがいて、彼はものすごい能力を秘めていた。けどフリーエージェンシーで失う可能性があって、実際に移籍した。そこでダーコに賭けてみようとしたんだ」
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