“NBA史上最高級”の2003年ドラフトでスターを引けなかったピストンズ。2位指名のミリチッチを当時の選手が擁護「ダーコだけのせいじゃない」<DUNKSHOOT>
身長211cmでセンターとパワーフォワードの両ポジションを兼任できたオカーは2002-03シーズン、ルーキーながら72試合に出場して平均6.9点をマーク。しかし翌2003-04シーズン終了後にFAになる権利を持っていたため、チームはプリンスのいるSFポジションでかぶるカーメロではなく、オカーと似たタイプのミリチッチを指名したというわけだ。 結局、ピストンズは2004年2月の3チーム間トレードで万能ビッグマンのラシード・ウォーレスを獲得し、ベンとの“ダブル・ウォーレス”でディフェンスを強化して見事チャンピオンに輝いた。 ラシードがラストピースとなったチームは2005年にもファイナルへ進出。サンアントニオ・スパーズと最終第7戦までもつれる大激戦の末に3勝4敗で敗れるも、このトレードがチーム力を飛躍させたことは間違いない。 その一方、ミリチッチは影を潜め、“ドラフトの失敗例”、“期待外れ”のレッテルを貼られた。ただ、プリンスは当時のピストンズが常勝チームと化していた状況、2003-04シーズンから規律に厳しいラリー・ブラウンHCが就任していた事情を踏まえ、ミリチッチを擁護していた。 「ダーコについて言っておきたいのは、ドラフトされた時点で17歳で、シーズンが始まる前にようやく18歳になったばかりだったこと(18歳と133日でデビュー)。しかもラリー・ブラウンが最初のコーチだったんだ。2位指名のあいつは失敗作だと、みんな揃って言う。けどこのケースについてはダーコだけのせいじゃない」 もし当時のピストンズが常勝チームでなければ...フォワードのポジションに空きがあれば...カーライルHCもしくは若手育成を重視したコーチング体制だったら...ミリチッチのキャリアは変わっていたかもしれない。 ドラフトは成功・失敗に関わらず、永久に記録に刻まれる一大イベントだ。その反面、選手のキャリアを大きく左右してしまう危険性と隣り合わせにある。上位指名された選手たちが受けるプレッシャーは、常人には理解できないものなのだろう。 文●秋山裕之(フリーライター)
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