「ボランティアに来るな」の議論が吹き荒れる中…震災後の能登で銭湯の復旧を続けた店主の「本音」
湯をあみ、ととのい、活力に換える――いまやリラクゼーションの一助としても愛される公衆浴場・銭湯には、単なるリフレッシュやコミュニケーションの場としてだけでなく、「公衆衛生」という社会的な使命がある。元来担っている銭湯の役割は、被災地においてその重要性を増す。 【写真】震災後、復旧と向き合う能登半島の人々 令和6年能登半島地震からもうすぐ1年が経過する。震源地となった能登半島北端の珠洲市において、発災からわずか18日で銭湯「海浜あみだ湯」を再開させた、移住者にして銭湯運営責任者の新谷健太さんに「あたたかい湯を沸かす使命」や、被災地域のこまやかなニーズに応える「銭湯ボランティア」の推進、そして「復興」という言葉がもたらす率直な心境を聞いた。
「元日のあの感じ」が
――11月27日に、石川県西方沖で最大震度5弱の地震が発生しました。東京でもすぐアラートが入り、珠洲市に住まう皆さんがとっさによぎりました。やはり元日の地震を想起せざるを得なかったからです。現地はどんな状況でしたか。 22時47分のことでした。あみだ湯にていつも通り10人弱で過ごしていたところにアラートが鳴りました。発災後からも余震が続いていたので焦りましたが、皆さんに迅速に荷物をまとめてもらい、逃げる準備をして。 初期微動がほとんどなく、これは連発で強いのが来るかもしれないぞと心の準備をしつつ、現場にはかなり緊張感が走りました。 ――新谷さんは直後、Xにも「元日のあの感じ」とポストされていました。運営責任者というお立場もあり、非常に緊迫したと思います。地震後、朝に向けて落ち着きを取り戻せたのでしょうか。 設備その他に不具合はありませんでした。ようやく津波の心配がないと分かって、すぐに余震が来る可能性が少なくなったこともあり、ゆっくりのタイミングで皆さんをあみだ湯から送り出せたんです。 ――2023年末に海浜あみだ湯の運営責任を移譲されたまさに直後のこと、新谷さんは激震地・珠洲市で被災されました。ご自身も避難生活を送りつつ銭湯の復旧に早急に取り組まれ、わずか18日後には珠洲市民の方に無料開放をスタートされました。 発災直後に避難し、ようやく避難所生活の体制を整えたのが1月2日ごろ。その翌日にあみだ湯とともに運営するゲストハウスの様子を見に行くと、地下水が上昇して溜まっていたので、それを避難所の仮設トイレの水として運搬したのが最初にできたことですね。