「ボランティアに来るな」の議論が吹き荒れる中…震災後の能登で銭湯の復旧を続けた店主の「本音」
風呂に入らなかったら、人は死ぬ
――避難所では銭湯の運営責任者として、行政からのアドバイスを受けたんでしょうか。 業者や行政から常に言われたのが、「水道復旧が絶望的でひと月では済まないので、避難所も清潔を保ち、トイレの掃除も怠らずに、感染症予防をしてください」ということでした。 公衆衛生の観点からお風呂の重要性を痛感しながらも、僕自身も被災しているなかで何をできるのかと、全然その時点では考えられなかったものです。 雪の降るなか設備全体の修繕を急ピッチで終え、試運転を始めた15日からは実際のオペレーションの検討に入りました。 掃除をどうするのか、どのような地区ごとに入ってもらったらよいのか、まだまだ余震が続くなかでの避難経路の確保など、頭をフル回転で、再開業のチラシを印刷して。地下水と薪ボイラーを頼りに、走り抜けるように1月19日の営業再開を迎えたんです。 ――このハイスピードの復旧をとっても、新谷さんの動きには「被災地における公衆衛生の機関部を運営する使命感」を感じます。 単純に「お風呂に入らなかったら、人って普通に死んじゃうんだろうな」と直感したんです。高齢者も多く住まう避難所の衛生環境は、決して良いとは言えないですからね。銭湯を運営しているので、震災直後は公衆衛生を意識して動いた部分ももちろんありました。 そして、被災という突如訪れた非日常的な空間にあっても、皆さんがお風呂という日常的な行為を取り戻せるなら、冷静になれるだろうとも思ったんです。 それこそ2月になって銭湯に入った方から「やっと生きた心地がした」と報告されることもありましたし、いかなるときでも、ひと時の癒しや、絶望のなかの小さな希望になれたらいいな、という思いがあります。
「被災地になるべく行かないで」の声
――その後も地域の復旧がままならぬなか、脈々と地域のために銭湯運営を続けられたのは、ボランティアの寄与する部分も大きかったでしょう。このたび脚光を浴びた「銭湯ボランティア」について教えていただけますか。 発災直後から3月ごろまでは、地元の高校生やおばあちゃんたち、つながりのあった方を中心にボランティアしていただきました。 ちょうど春ごろには「被災地になるべく行かないでください」という報道があったこともありゆるやかだったのですが、その後メディア展開やさまざまな情報の広がりを経て、新たな方を引き受けるようになって。 7月になると、自分がすべてを采配するにも限界を感じたため、「地域おこし協力隊ネットワーク」の協力によって募集要項などを編み上げ、集約した組織を立ち上げていただき、現在の活動に至っています。 ――銭湯ボランティアと聞くと「浴室のお掃除や番台さんの手伝い」というイメージがありますが、実際には被災地域の泥かきなど、労力のかかる作業にも携わっていると聞きます。 僕ら銭湯ボランティアは、社協などが組織の大きさゆえにアプローチしづらい場所にフットワーク軽く向かう、そんな強みを持つ組織です。 たとえば道が危険な地域だと、行政などのボランティアは入れなかったり、農業系のボランティアもマッチしづらいんですが、我々はその空隙を埋める活動を行えます。 また我々は、マッチングに関しても即応しやすいんです。被災者さんたちも本当に過酷な状況にあり、社協などの「何月何日に行きます」というピンポイントなボランティアの日程と、なかなか合いづらいという問題を抱えているからです。 地域ごとのそうした細やかな困りごとを拾っていくのですが、ニーズとして一番多いのが泥かきで、その次が道路の家財出し、最近だと農業ボランティアなども。 なかでも給水車ボランティアとしてひたすら水を汲む作業を繰り返した結果、「ようやく家の風呂に入れるから、あみだ湯に行かなくて済んじゃった」とお声掛けいただいたときには、銭湯ボランティアという名の自己矛盾じゃないか、と笑い合ったりもしました。 こうした活動を通じて地域の人たちを励ますと、「移住者の方が頑張っているんだから、私たちも頑張らなきゃなと思う」と言われるので、もう地域ごと温めるぞという気持ちでいっぱいです。