秋吉敏子が95歳の今語る『孤軍』の音楽人生、ジャズと日本人としてのアイデンティティ
「ガラスの天井」に思うこと
―少し話は変わりますが、2001年の『ヒロシマ そして終焉から』について聞かせてください。この曲は広島の被爆とそこからの再生がテーマになった作品です。そこに韓国人の笛奏者ウォン・ヤンヒュンが起用されています。なぜ彼を? 秋吉:広島はご存知の通り、原爆が落とされた場所ですよね。なぜ広島に原爆が落とされたのかというと、あそこには軍需工場があったのも理由だそうです。そこで働いていたのは日本人だけではなくて、韓国人もいたそうです(※徴用工として)。だから私としては広島の曲を作る際に、韓国の笛の人に頼んだんです。最初に私が広島に行った時には韓国人を慰霊する墓のことは知らなかったんですけど、今はあります。 ―韓国人にも原爆の被害者がいて、彼らのお墓にお参りに行かれたのも、この組曲に韓国人プレイヤーが入っている理由の一つですか? 秋吉:はい。あの時はアメリカ人の捕虜も広島にいたと思います。その人たちも犠牲になっていたと思います。 ―いろんな人種の犠牲者について書いた曲でもあるってことですか? 秋吉:あまり考えたことがないです。私があの曲で書いたのは、広島に爆弾が落とされる前からで、それから爆弾が落とされて、広島が立ち直るっていう経過を表したかった。私の曲としては珍しくテキスト、言葉が入ってるんだよね。 ―最後の質問です。1998年のアルバム『モノポリー・ゲーム』に「グラス・シーリング」という曲が入っています。この曲はどんな意図で書いたんですか? 秋吉:この言葉はマイノリティの人たちはある程度までいくと、そこから上には行けないという人種差別があります。でも、それは目に見えない。だから、グラス・シーリング=ガラスの天井。それで生まれた言葉なんです。 ーご自身の経験とも関係がある曲なんですか? 秋吉:これの最もわかりやすいサンプルを話しますね。私が出したレコードは全部グラミーにノミネートされてるんです(計14回)。グラミーっていうのはノミネートに関しては音楽をわかってる人たちが選ぶんです。でも、その先はそうじゃない人が投票する。私はノミネートは全てされているけど、ひとつも受賞したことがない。 NHKの中村さんっていう大変優秀な人がいるんですが、彼が現役だった頃に子供を対象にした作品を出して、これが大きな賞にノミネートされたんです。でも、イギリスの作品もノミネートされていて、そうなると絶対にイギリスの作品に賞は行ってしまうんです。ただ、それはそれでしょうがないなっていうか。 ーいやいや……。 秋吉:別にもらってももらわなくてもいいです! ―もし時代が40年違っていたら、秋吉さんは今頃グラミー賞を5つも6つも獲得できたんじゃないかと僕は思います。ご自身でもそう思いませんか? 秋吉:でも、私、残念賞をいただいたんですよ。私はいつもノミネートされるのに一度ももらったことがない。たぶん、向こうのグラミーを決める人たちが私のことを可哀想に思ったんでしょうね(笑)残念賞のトロフィーをもらったんですよ。グラミー賞のトロフィーってビクターと同じような蓄音機がついてるでしょう? あれが付いた残念賞のトロフィーがうちに置いてありますよ(笑)。 --- 秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド 『孤軍』アナログ盤 2024年12月25日リリース 秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンド 代表作7作品ストリーミング解禁 ・孤軍 | Kogun (1974) ・Long Yellow Road (1975) ・花魁譚 | Tales of a Courtesan(Oirantan) (1975) ・Road Time (Live) (1976) ・Insights (1976) ・March Of The Tadpoles (1977) ・Live at Newport’77 (Live) (1977)
Mitsutaka Nagira