秋吉敏子が95歳の今語る『孤軍』の音楽人生、ジャズと日本人としてのアイデンティティ
日本的なサウンドを取り入れる過程、武満徹への共感
―秋吉さんは「孤軍」より前から民謡を演奏されたり、「Long Yellow Road」も書かれてますし、日本をモチーフにした曲を書かれたり演奏されてるじゃないですか。それをビックバンドに置き換えるためのインスピレーションは? 秋吉:さっき話したように、私のバックグラウンドはアメリカ人、ヨーロッパ人と全然違う。それがネガティブに思われていた時代でしたが、ポジティブに考えるべきだと思って、それで日本の伝統から引き出して「木更津甚句」などを作りました。 「木更津甚句」は8分の15拍子。オスカー・ピーターソンがあれを聴いて、僕もやりたいから僕にもああいう曲を書いてって言われたんです(笑)。でも、私は本当に怠け者でね(笑)。彼に書いてあげていたら、彼のレコードは売れるから私にも収入が(入っていたんでしょうけど)ね(笑)。私は怠け者だから(書かなかった)、そういうところがダメなんですよ。 ―秋吉さんはアメリカで活動されていたわけですが、日本の伝統音楽をどうやって研究したんですか? 例えば、雅楽のレコードを取り寄せて聴いたりしたんですか? 秋吉:雅楽のレコードやテープを日本から送ってもらっていました。日本の鼓(つづみ)、日本の笛、それを取り入れたいと思ったんです。それが「孤軍」です。西洋のリズムは1・2・3・4って感じですけど、日本の音楽はそれとは違う。(横に流れるように手を動かしながら)横に流れるようなものなんです。だから「孤軍」での鼓はそういう風に入っているんですよね。そういうものは日本ではケチョンケチョンに言われると思っていましたが、わからないものですよね。 ―日本の音楽要素を取り入れた作曲家と言えば、例えば武満徹さんのような方もいたと思いますが、武満さんの音楽は聴いていましたか? 秋吉:武満さんはジャズが本当にお好きで、私のコンサートには必ずお見えになってたんですよ。武満さんがタイムマガジン(Time誌)の表紙になったものはウチにもとってありますよ。武満さんはフルブライト奨学金をいただいたとき、誰に師事したいか訊かれて、デューク・エリントンと答えたそうです。アメリカの連中は「冗談だろ?」って感じの反応だったらしいですけどね(笑) 私に「一緒に音楽つくりませんか?」って仰ってくれたこともあるんです。当時の私はまだ未熟だったので「なぜ私が一緒に……?」って思ってたんです。でも、今だったらどうやったらいいかってわかります。残念ですよね。 ―日本の音楽の要素って、それ以前に秋吉さんがやってきたアメリカのジャズとは全く違うものだったと思うんです。 秋吉:あまりそういうことを考えてなかったんです。ただ日本の要素を入れるのに鼓を入れるとか、笛の音を曲げるとか、横に流れるようなリズムで鼓を入れるとか、そういうことを考えていました。もともと私は鼓の音が好きだったので、いつか鼓を買えないかなと思っていたのもありますね。 ―例えば、マイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』みたいな、モード的な要素を入れたりとかは考えてましたか? 秋吉:考えてなかったです。私は鼓の音が割と好きで、何か使えないかなって頭の中にありました。