秋吉敏子が95歳の今語る『孤軍』の音楽人生、ジャズと日本人としてのアイデンティティ
デューク・エリントンから学んだ「バックグラウンドに向き合うこと」
―当時のことを知らない人からすると、「孤軍」という日本をモチーフにした作品をジャズのビッグバンドでやるというのは相当大きなチャレンジだと感じますけども。 秋吉:そこはデューク・エリントンにすごく影響を受けているつもり。音楽的な影響ではなくて考え方ですね。 デュークは自分が黒人だっていうことをものすごく誇りに思っていて、そこに根付いた曲が多いんです。私もデュークと同じようにやった気はあって、その辺の若い(アメリカの)ミュージシャンよりも私の方が経験を積んでます、と。けど、私のバックグラウンドはアメリカ人と違う。それを昔はネガティブって思うことが普通だったんですよね。けど、私はそれをポジティブに、自分の財産だと思うようにしようと考えたんです。 そこがデューク・エリントンから影響を受けた部分。デュークは黒人であることを、私は自分が日本人であるということをすごく誇りに思っている。バックグラウンドは違うけど、そこから何かを引き出そうと。 そこに気づいたのはロサンゼルスに移って、ルー・タバキンとのビックバンドができたとき。自分が日本人だってことに根付いた曲を作ることが、自分の仕事じゃないかと思ったんです。それで「孤軍」などを作りました。 ―アメリカに当時いたら差別もされるだろうし、日本人として活動するのは肩身も狭かったのでは? そのなかで日本人であるというプライドを保つというのは心が強いんだなと感じました。 秋吉:私はあまりそういうふうに考えることはなかったです。けれど、今話したようにそれに気がついたのは、デュークのようにバックグラウンドは違うけれど、日本人であるということを活かすということ。それが私の仕事ではないかと思ったのが最初ですね。それは曲を書くようになってからです。 その前の私は(作曲家というより)ピアニストで、トリオでの活動が主でした。当時はジャズクラブが全米のあちこちにあったんです。今はほとんどなくなってしまいましたけども。ジャズクラブに1週間くらい出演して、終わったら次の場所に車で行って。そういう時代なんですね。それをリーダーとしてやっていました。 ピアニストとしてトリオでやっていて、私はピアニストとしてそれほど上手いほうじゃなかったんですけど、ピアノをやっているともう少し色が欲しいって感じていました。ピアノでは表現できない色が欲しいと思い始めて。それでビッグバンドなんです。ビッグバンドではいろんな色を使えるということですね。私があちこちでトリオでやっているときは誰も私の演奏を注目してくれなかったのに、ビッグバンドになったら注目してくれるようになった(笑)。だから、私のバリューはその辺にあるのかもしれないですよね