トルストイ「戦争と平和」に胸打たれた特攻隊長 遺書の最後は「元気に朗らかに仲よく」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#68
1950年4月7日午前0時半。BC級戦犯として死刑を執行された幕田稔大尉。海軍兵学校を卒業した幕田大尉は読書好きで、もっとロシア・フランスの翻訳本が読みたかったと遺書に書いた。31歳の幕田はトルストイの「戦争と平和」に胸打たれたという。3年あまりをスガモプリズンで過ごした幕田は、刻々と迫る死刑執行を目の前にしながら、ラジオで洋楽を聞き、最後の夕食で久しぶりの酒に酔うのだったー。 【写真で見る】死刑を宣告される幕田稔大尉
監視されて生きるのはほとほといやに
死刑執行まで寄り添った田嶋隆純教誨師が書き写した幕田大尉の遺書は、残り少なくなってきた。 「わがいのち果てる日にー巣鴨プリズン・BC級戦犯者の記録」 田嶋隆純編著(2021年講談社エディトリアル)より <幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 私の実際のところ、機械のような人間に監視されて生きているのはほとほといやになっていたのでした。今晩で総て結果がつき、あっさり解き放れるかと思うとほのかに満足を覚ゆ。 小松さんにも一遍書きましたが母上よりもよろしくお願い申し上げます。遺髪、爪を田嶋さんが折角とりに来てくれましたのでやりました。薄暗くなってしまいました。先生と一緒に最後の夕食を直ぐ摂ることになっています。 ラジオをかけてくれたので洋楽を聞いています。また雨が降ってきました。朝から遺書を書き通しで疲れて聞くラジオ音楽は無上に楽しい。田嶋先生は先を考えないで瞬間瞬間を楽しく過ごせといわれた。その通りだ。忘れていたが、「かいみょう」もいらないのだが、やはり幕田稔がよい。親がつけてくれた名前だ。(略) 〈写真:刑場に祈る(巣鴨版画集より)〉
わずかの酒でだいぶ酔ってしまった
スガモプリズンでの執行前、最後の食事は田嶋隆純教誨師も一緒だった。何が食べたいか、リクエストも可能だったという。石垣島事件で絞首刑が執行されたのは同じ日に7人だったので、田嶋教誨師も入れて8人での「最後の晩餐」となった。同席した田口少尉の遺書によれば、午後5時半ごろから始まり、およそ1時間、用意されたウイスキーを飲んで御馳走を楽しみ、「世界的名曲から流行歌、渋いところまで」皆で歌ったという。 <幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> (夕食)僅かの酒で大分酔ってしまって、ブンガワンソロ、ラパロマ、アロハオエ。二人の擲弾兵(てきだんへい)等大分犬吠埼(いぬぼうさき)をはりあげる。四年ぶりの酒で大分よい気持ちだが、矢でも鉄砲でも持って来いとまでは今少しだ。最後の夕食を食い終わる。宿望のトンカツ、ハム汁、にぎり鮨、刺身、洋梨子の御馳走である。一同極めて朗らかな会食。「元気でいこう」とは一同の声。 今晩の死出の旅も、小学生のとき、遠足に行く前夜の未知の地に対するほのかな好奇心に似たもので、私は待っているだけである。 〈写真:田嶋隆純教誨師〉