トルストイ「戦争と平和」に胸打たれた特攻隊長 遺書の最後は「元気に朗らかに仲よく」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#68
読書家の特攻隊長が読んだもの
この「昨日今日の日記」は、あえて「遺書」という名前をつけずに、妹弟に向けて書かれている。読書家だった幕田はスガモプリズンで図書係をしていた。 <幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 正法眼蔵を通読しようと思いながら、身の衰弱のため要点を拾い読みきりできなかったのが残念である。自分の深奥の心と照合しながら、読まなければならないので時間と根気を要する。豊でもいま少ししたら、私の遺志と思い通読して下さい。坐っては読み坐っては読みしないと分からない本だ。自分で判った分きりしか理解できない本である。 ロシヤ、フランスの翻訳小説をも少し読んでみたかった。しかしトルストイの「戦争と平和」ぐらい胸を打たれたものは皆無であった。勉強は一生のことだから、こつこつ倦まず撓まず、死ぬまで続けてください。―あせらずにーそれでも人生の重荷が肩から下りたような清爽軽快な気持ちもしないでもない。あせると失敗する。一事ずつ十分噛みくだいて急がぬようにしなさいー何ごとでも同じです。酒が少し冷めかけて来たが、仲よくして生活してゆくのを考える安堵に似たものが胸に起こる。くれぐれも私はいわゆる死んだのではありません。 〈写真:死刑を宣告される幕田稔大尉(1948年 米国立公文書館所蔵)〉
世界は醜くもあるが本当に美しい
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> こういっては何だが、道元禅師のいっている要点はピタリと把えている自信を持っているのだから。病気などでいやだいやだと思い死ぬのとわけが全然違うのですから、私は先にもいった通り、自分の確信をこの私の人生という道場で自証するため自ら死にとび込む心算でいるのですから、だから必ず生きているのだと思い心を強く朗らかに明るく持ってください。 この題にもだから、わざと遺書などと爺むさいことをいわずに「昨日今日の日記」としたのです。また明日も明後日も生きて続いてゆくという意味をもって。別のは漫談と題をつけて下さい。題をつけずにしまいましたから。BでなくてAの方です。 真っ暗くなってしまいました。窓を開けていると真ん前の方に赤と紫の、やや右手の方に緑のネオンサインが見えます。世界は醜くもあるがまた本当に美しいと思います。今日も便秘で腹が張っている。が二年間兎も角気をつけた甲斐あり、歯痛も痔もことなく過ぎたのはうれしい。 〈写真:すがも図書館(巣鴨版画集より)〉