新監督の井上一樹にファンが期待する"どん底ドラゴンズ"再建への手腕
3年にわたって中日ドラゴンズを率いた立浪和義監督が辞任、後任は井上一樹2軍監督に決まった。2年後の2026年に球団創設90周年を迎える歴史と伝統の球団は、3年連続の最下位という低迷状態にある。井上新監督は、強竜を復活させることができるのだろうか。(敬称略) 【動画】ビシエド9年間ありがとう!空港でのお見送りインタビューはこちら【0分26秒~】
月刊誌での交代劇
『月刊Dragons』という雑誌で、何とも暗示的なことが起きていた。就任以来、立浪監督は「本氣VOICE」という連載コーナーを持ち、チーム作りの現状と自分の考えなどを毎月、ファンに向けて発信してきた。なかなか読み応えのあるコラム記事だった。 しかし、監督3年目を迎えた2024年4月号で「すべての意識をペナントレースに集中させる」という理由によって、その連載は終了した。同じ4月号から連載がスタートしたのが、就任したばかりの井上2軍監督による「一筆球上」というタイトルのコラム連載だった。
井上一樹のチーム哲学
「一筆球上」では、毎回、井上2軍監督が文章と共に、自らの筆で思いのある"ひとこと"を書き、その色紙の写真も紹介されている。初回はシーズン開幕のタイミングだったこともあって「春闘」という文字。1軍同様に2年連続最下位と苦しむ2軍に「勝つ意識を植え付ける」と決意を綴っている。 「厳しさには何でも善し悪しがあり、厳しさへの免疫を持っている選手と持っていない選手、それぞれへの対応を判断する」と具体的な方法を明かし、その上で「チームが一体とならなければ勝つことへの執着が足らなくなってしまう」と結論づけている。 前年の2023年は実に37の借金があった2軍だが、井上新監督の指揮下で最後まで優勝争いをして、貯金25まで増やし堂々の2位だった。
現役時代の思い出
井上一樹の現役時代は、波乱万丈だった。1989年(平成元年)ドラフトで投手として2位指名されたが、2軍のウエスタン・リーグでも登板がほとんどなかった。しかし、その力は打者に転向して一気に開花した。星野仙一監督の下でリーグ優勝した1999年(平成11年)には130試合に出場して、開幕21試合連続安打も記録した。 落合博満監督時代も外野の一角を担い、日本一になった2007年(平成19年)は、優勝パレードのオープンカーには、選手会長として落合監督の隣に座って、沿道のファンに満面の笑みを見せた姿が懐かしい。選手として1215試合に出場し、通算打率は2割7分5厘、通算本塁打79本、決してスター選手ではなかったが、チームに欠かせない存在だった。