人骨を拾い、遺体で遊ぶ子どもたち 中東シリアのアサド政権下で行われた“虐殺”の現場を現地取材【news23】
カメラを向けると次々に集まり無邪気な笑顔を見せてくれます。しかし、その笑顔とは裏腹に子ども達が私たちに身振り手振りで案内しようとしたのは… 増尾記者 「子どもがこうやって、『骨が落ちているんだよ』と言って、我々を案内してくれるんですね。荒廃していて今も人骨があらゆる場所に散乱している状況です」 放置されているのは、政府軍の空爆などで亡くなり埋葬すらされなかった人たちの骨です。この町のいたる所で目にする人骨。その数が14年にわたる内戦で犠牲になった市民の多さを物語っています。 タダモン地区に住む男性 「きのう、子どもたちが遺体で遊んでいた。(パレスチナの)ガザ地区やほかの国でもなかったことだ」 破壊や虐殺を日常的に見てきた子どもたちにとって、将来に希望を抱くことは簡単ではありません。 ――将来、何をしたい? 「外国に行きたい」 ――なぜシリアを出たい? 「シリアには何もないから」 ――こうした風景を見てきたから? 「うん。ここで生きてきた」 ――この場所が嫌い? 「好き。それでも外国に行きたい」 今後、シリアは子どもたちが希望を抱ける争いのない国へと生まれ変わることができるのでしょうか。 ■「映像を目に焼き付けて…」非日常が日常に変わる“戦争”のリアル 小川彩佳キャスター: 目を覆いたくなるような事実の数々ですが、これもシリアで起きていたことの一端に過ぎません。そして、子どもたちの中でこの経験がどのように育っていくのかと考えると本当に恐ろしい気持ちになります。 小説家 真山仁さん: もう10年以上も内戦が続いています。まるで映画のセットのように、“人骨が落ちていてリアリティがある”と思いがちですが、これが現実に起きていることです。こういう風景を毎日見ていると、本来は非日常的な風景が日常になってしまいます。 例えば震災が起きて、被災地で倒壊した“悲惨な家”でも、時間が経てばその家の前で子どもは遊ぶようになります。「ひどい」「かわいそう」ではなく、ある時から非日常が日常になっていくものなのです。