大谷翔平伝説が新たに始まる...「ますますリスペクトされる選手に」
<左肩の負傷後も存在感を発揮し、初めてのポストシーズンを最高の形で締めくくった大谷翔平の栄光への軌跡>
10月26日夜、MLBワールドシリーズ第2戦で盛り上がる満員のドジャースタジアムで一瞬、時が止まった。高揚感は恐怖に取って代わられ、歓喜は不安の渦にのみ込まれた。 【動画】珍しく英語で挨拶した大谷翔平 その瞬間まで、全てはロサンゼルス・ドジャースのペースで進んでいた。ニューヨーク・ヤンキースとの第1戦は、足首を捻挫しているフレディ・フリーマンが延長10回裏にワールドシリーズ史上初のサヨナラ満塁ホームランを放ち、6対3で勝利。第2戦も7回裏の時点で、4対1でドジャースがリードをしていた。 7回裏、スーパースターの大谷翔平がフォアボールで出塁。2アウトとなり、テオスカー・ヘルナンデスが打席に立つなか、大谷は二塁に向かって走り出した。 今シーズン、59盗塁、54本塁打の驚異的な活躍を見せた大谷だが、このときはタッチアウトで盗塁失敗。さらに悪いことに、スライディングをした際に地面に左手を不自然に突き、痛そうな様子でその場に転がり込んだ。 歴史的なシーズンを戦い抜き、チームの悲願だったワールドシリーズ出場を果たしたというのに、ドジャースと10年で総額7億ドルの超大型契約を結んだ大谷の1年目はこれで終わってしまうのか。 突然に、こんなにも早く? 静かに、しかも、栄光を手にしないままで? 日本のテレビ放送では、大谷がトレーナーに向かって左肩が外れたようだと日本語で伝えた音声が中継された。その瞬間、ドジャース関係者も野球ファンも最悪の事態を覚悟した。ワールドシリーズの残りの試合にはもう出場できないだろう......。 その後、大谷のけがは「左肩の亜脱臼」と発表されたが、この偉大な男の偉大なキャリアを目撃してきた私たちには分かっていた。打席に立とうと、マウンドで投げようと、トレーナールームで治療を受けていようと、大谷を決して過小評価してはならない、ということを。 大谷は常に期待を上回るキャリアを築いてきた。そして、ドジャースはこの後すぐ、彼の最新の魔法を目の当たりにすることになる。 ロサンゼルスで2連勝した後、ニューヨークへ向かったチームメイトの元に、精密検査のため同行しなかった大谷からグループチャットでメッセージが届いた。自分は大丈夫で、第3戦で合流する予定だ、という内容だった。彼は仲間に心配をかけたくなかったのだ。 ■チームを救った機敏な走塁 肩の負傷はドジャースが公表した以上に深刻だった(優勝から6日後、左肩の関節唇損傷の修復手術を受けた)が、大谷はヤンキー・スタジアムでの3試合に、いつものように1番指名打者でスタメン出場。それは印象的で、感動的で、まさに大谷らしい光景だった。 大谷にとってMLB初のポストシーズンは大成功だった。サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、そしてニューヨーク・ヤンキースとの対戦を通じて3本塁打、10打点を記録し、四球で13回出塁。ドジャースをフルシーズンとしては1988年以来初となるワールドシリーズ優勝に導いた(チームはコロナ禍でシーズンが短縮された2020年にも優勝している)。 ポストシーズンの初戦となった地区シリーズのパドレス戦では2回裏に同点3ランホームランを放って、7対5で逆転勝利するきっかけをつくった。続いて、ナショナルリーグの頂点を決めるメッツ戦では、6試合で打率3割6分4厘(22打数8安打)、2本塁打、6打点、出塁率5割4分8厘を記録して、メッツを圧倒した。 ワールドシリーズでは珍しく振るわなかったが(打率1割5厘、長打は5試合で二塁打1本のみ)、存在感は変わらず、ドジャースの優勝に大いに貢献した。 ワールドシリーズ第1戦は、大谷の機敏な走塁がなければおそらくドジャースが負けていただろう。8回裏1アウト、2対1で負けていた場面で、大谷は二塁打を放ち、送球がそれる間に三塁に進塁。続くムーキー・ベッツの犠牲フライで同点のホームを踏んだ。 大谷が機転を利かせて三塁に進んでいなかったら、このイニングもヤンキースがリードしたまま終わっていたかもしれない。そうなれば、その時点の勝率から考えて、ヤンキースが初戦を制した可能性が高かった。