独りで戦い、生き抜いた――〝安楽死〟した日本人女性 病による耐え難い苦痛と、頼ることをできなくした家庭環境
困難を独りで闘い“生き抜いた” 迎田良子さんが安楽死
「ハロー、良子。あなたに花をもってきたかったの。日本のサクラのようなものよ」 「ライフサークル」代表のプライシック医師が部屋に入り、迎田さんを抱きしめた。そして手に持っていた一輪の花を渡した。 「ありがとう」と満面の笑みを浮かべ、迎田さんは愛おしそうにその花を見入っていた。
致死薬が点滴に投入され、安楽死の準備が整った。スイスでは医師が患者に薬物を投与して、死に至らせる行為は禁止されているため、処方された致死薬を、患者本人が体内に取り込む必要がある。 ベッドに横たわった迎田さんは、震える手で点滴のバルブをもちながら、プライシック医師に最後の感謝を伝えた。 迎田さん:「あなたに会えて本当に幸せだった」 医師:「誰もがスイスではなく、自分が住む場所で安楽死できたらいいのに」 迎田さん:「ここに来られて本当に幸せ。夢が実現したわ」 医師:「点滴のバルブを外したら何が起こるかわかりますか」 迎田さん:「私は死にます」 医師:「それがあなたの最後の願いならば、バルブを開けて良いです」 迎田さん:「イエス、OK」
震える手を抑え、バルブを開けた迎田さん。静かに目を閉じ、「ありがとう、エリカ(プライシック医師)。あなたの幸運を祈っている」と呟き、数分後に呼吸を止めた。 迎田さんの遺骨は、レマン湖に散骨されたという。
取材を終えて
迎田さんが旅立ってから1年7か月が経った。亡くなってからこれまでに、私は1日たりとも、彼女のことを考えなかった日はない。彼女の選択、そして、彼女の人生そのものが、今も私に強烈な印象を残しているからだ。 初めて迎田さんにメールをもらってから1年間、イギリスと日本の間でのzoomのやりとり、東京、ジュネーブ、バーゼルでも時が過ぎるのを忘れて、語り合ったことを思い出す。 安楽死を選択する思いや、病気のことなど、心がふさぐ話も多かったが、それだけではない。彼女のこれまでの恋愛話や、ヨーロッパ各国を旅し、暮らした、心が弾むような話題の方がむしろ多かった気がする。 「本当に幸せな人生だった」。繰り返し語ったその言葉は、彼女がたった一人で人生を切り拓いてきた「誇り」だったように思う。 安楽死の法制化を望んだ迎田さんだが、安易に安楽死を選択することには強く反対していた。 「難病だから誰でも安楽死をしていいというわけではない。基本は生きることだから。やむを得ないときに安楽死がある。そこのジャッジをしっかりしないといけない」 安楽死当日、最後に私は、安楽死を思いとどまることができないかを、あらためて尋ねた。 「あなたは死が差し迫っているわけではないし、まだ生きられると思うんです。介護施設などでサポートを受けることもできますし、もう少し生きてみることはできないでしょうか」 「誰かに頼って生きるなんて嫌なのよ」 その澄んだ瞳を見て、私は彼女の中で生きる選択肢が、わずかにでも残されていないことを悟った。 過酷な幼少期を経て、その後も度重なる困難にぶつかろうとも、自身の力で人生を切り拓いてきた彼女を、私は心から尊敬している。 ただ、同時に、こうも思う。 「誰かに甘えてでも、生きてもらいたかった」 ※この記事は、TBSテレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です