独りで戦い、生き抜いた――〝安楽死〟した日本人女性 病による耐え難い苦痛と、頼ることをできなくした家庭環境
難病に“独り”で向き合い 決断した最後の手段「安楽死」
難病を患ってしまったが、「生きることを最優先」に、病気の進行を食い止めようと手を尽くしてきたという。 病気に効果があるとされる食事は毎日でも取り、強い副反応が起きる薬でもあきらめずに服用し続けた。西洋医学だけでなく、東洋医学まで自分で調べ、なんとか一人で生きていく道を模索したという。 しかし、病気の進行が止まらず、むしろ「痛み」や「呼吸不全」といった迎田さんにとって耐え難い苦痛が増えていく。 「ああいう家庭環境で育ってきたから、人に甘えるのが下手くそなのよね」と話す迎田さんは、周囲に支えを求めることもできず、苦しみと正面から向き合うなかで次第に追い込まれていき、ついに安楽死することを決断した。 日本では安楽死が認められていないため、海外で安楽死を認めてくれるスイスの団体「ライフサークル」(現在は新規会員の受け入れを終了)を自ら探し出して申請し、許可が下りた。 「7年間、苦しんだ末に出した結論。痛みや息苦しさを誰かが取り除いてくれるわけではない。一生懸命生きてきたけど、私はもう安楽死を選ぶしかなかった。安楽死は『最後の手段』だと思う」
最後のご馳走 「幸せな時間」も痛みに襲われて
2022年12月、安楽死するため、スイスのジュネーブにやってきた迎田さんは、かつて恋人と訪れたというフランス料理店に入った。レストランで食事をすることは、2年ぶりだという。震える手でもったスプーンで、前菜を口に運んだ。 「美味しい。最後に思い出のレストランで食事することができて、私、本当に幸せ」 しかし、メインの料理がテーブルに運ばれようとしていたその時、突然、迎田さんがこめかみを押さえて表情を曇らせた。顔色がみるみる真っ青に変わっていく。 「ごめんなさい、私、急に頭痛と吐き気が出てしまって。これ以上、無理だから、私の分を食べてもらっていい?この病気の特徴なの。ある時、突然、こうやって症状が出るのよ」 迎田さんは駐車場に停車してあった車の中で2時間ほど横たわり、症状の回復を待った。 彼女の病状を目の当たりにして、私はそれまで幾度となく話を聞きながらも、その深刻さを十分に理解できていなかった自分に忸怩たる思いがした。 「最後のご馳走」と言って楽しみにしていたメインの料理を、彼女が口にすることはなかった。