最大級の誕生日会で「繋ぎまっせ」USEN名物部長の生き方
大震災があった時、兵庫県の責任者をしていた
──阪神淡路大震災の時は大変だった? 村上:大震災があった時、兵庫県の責任者をしてたんです。都会であれだけ大きな規模の災害は初めて。会社もどうしていいかわからず、ルールもなかった。兵庫県はね、大阪有線の日本でいちばん大きなブロックやった。そこが壊滅状態になって。社員も守らないといけない。通勤もできないし、車も通れない。当時社員は1万人ほどもいて、兵庫県だけで500人。そんな時、地震で大変な状態やのに、モノを売りに行くのは非常識やなと思って。実際、「有線さん、なんかしてえや」「これ、やってえや、助けてえや」とか、どこに行っても言われました。随分といじめられました。だから壊れたビルの建て替えのお手伝いをしたり、銀行の融資とかの話も相談に乗ったり。そうやってまずは協力していったのです。 ──営業スタイルが変わっていったんですね。 村上:名刺持って商品を売りに行っても、売れない。営業の取れるところは僕じゃなくても取れる。会社の誰が行っても取れないところへ僕が行って。どうしたらうまく行くか。まずは先方のやって欲しいことや困っていること、知らないこととかを率先して調べたり行動に移したりしました。買ってくれっていう前に、僕ができることを先にします、というスタイルに変えたんです。「困っていることを何でも言って下さい」と。それで僕が動いて、利益が上がったり、良い人材に出会えたり、何かメリットが出たら、有線放送を使って下さい、と。そういう営業方法に切り替えました。そのために、ぜんぜん関係のないことまで勉強しました。知識、人脈、情報が必要なので、大勢の人に会い、人脈や情報網を広げていったんです。
同じスタイルで行ったら玉砕
──最終的には会社の売り上げを伸ばすためだったんですね。 村上:そこはサラリーマンですから。そういう部分が原点で、有線のために動きました。何かお仕事をしたいお客様にまず別の形でお手伝いをする。僕も初めからボランティアだけをする気はないので、どうしたらこの人がこっちを向いてくれるか。誰が行ってもダメな難攻不落な人を落とすのが快感です。同じスタイルで行ったら玉砕するから、名刺を渡しても「有線で来たんと違います」って。何をすれば僕のことを好きになってくれるか、たいがいの人が困りごとを抱えているので、それを真っ先に考えました。向こうが欲しい物を提供してあげたら、ちゃんとこっちを向いてくれるし、喜ばれる。どんなビジネスでも営業マンが行くと、だいたい見積もりを取られて、「君とこ、なんぼにしてくれるねん」って、そういう契約になるでしょ。しかし、その前に何か役に立てることを積極的にやってあげれば、契約も取りやすくなると思いますね。 村上会では毎年、社会貢献型のビジネスモデルを紹介し、今年も5団体の代表が挨拶した。「今、USENもお客様のことを最大限に考える“お役立ち企業”として動いてます」と村上氏は言う。「僕は基本的に横着な人間なんです」と笑うが、村上氏の周りには常に多くの人が集まって来る。そこにまた新たなビジネスのつながりや事業が生まれることだろう。 (文責/フリーライター・北代靖典)