ファーストサマーウイカが語る『光る君へ』。清少納言が定子の「光」だけを書き残した理由
影を書かずに、光だけを書き残す。ききょうの思い
―清少納言は『枕草子』で定子さまの光の部分を書きました。影を書かずに光だけを書くということについて、どう思われますか。 ウイカ:もちろん、まひろの「影を描いた方が面白い」という言葉もわかるんですよね。 『枕草子』を通して清少納言のキャラクターを読み解こうとしたとき、初めはそこで書かれた文章をそのまま受け取ったんですが、2回目、3回目は疑いながら読んだんですね。彼女は、観察眼が優れていて良くも悪くもストレートに表現しますが、自身のことを語る時はコンプレックスをオープンにして、謙遜しがち、自分下げをする時があるなと私は感じました。 皆さんもそうだと思うんですけど、SNSとかで文章を書くとき、ええかっこしいをするというか、ちょっとおしゃれに締めてみたり、カッコつけたり、文章は何か一枚纏う瞬間があると思うんです。そのときに作家性というものが出てくると思いますが、清少納言は真正面から書いていないこともたくさんあって、紫式部はそれを見抜いていた、このドラマのように二人が対面することがなかったとしたら、『枕草子』でそれを察したり、噂から判断したのかなと思います。 だから、まひろの言うこともわかる。けど、そもそも定子さまを元気づけるために書いた『枕草子』で、定子さまに起きた悲しいことを書くことは最初のテーマからそれているし、私がこの時代にいてもききょうの選択をとったんじゃないかと思います。 定子さまを「推し」というふうに解釈していますが、裏側を見たくない、見せない人もいますよね。どれだけ歯を食いしばって悲しい思いをしてきたか、私は知っているけれども、彼女は表に出さない。その見せなかった部分をなぜ書き残さないといけないんだろう、そんなことはできない、と思いました。 そして、高畑充希さんも常々そのように演じられていて。目の奥に見える本心や揺らぎはあったんですが、それを書き残すのは野暮なんじゃないかと思いました。 ―ききょうは、伊周が『枕草子』を宮中に広めようとすることを最初は嫌がりますよね。ただ第29回「母として」ではむしろききょうさんが積極的に宮中でお披露目くださいと言いますよね。そこの心境の変化はどういったものがあったんでしょうか。 ウイカ:そうですね。伊周、マジでいらんことをするんだよな、二人だけの宝物にしようと思ったのに、という心の叫びは感じていて(笑)。 ただ、定子さまという存在が消えてしまったら、彼女があれだけ耐えた人生は何も意味を持たなくなってしまうのではないかと、没落していく中関白家を見て体感したのではないか思います。あれだけ「皇子を産め、皇子を産め」と言われて、まさに命を懸けて守ろうとした子どもたちが、力を持てなくなるかもしれない。彼女の生きた証がなくなってしまうかもしれない。 それが一番解せなくて、その最後に託された使命を誰がやるのかとなったとき、兄弟にはもう任せていられないと(笑)。一条天皇の心を定子さまにずっと引き止めておけばきっと大丈夫だろうと考えて、これが最後の頼みの綱、定子と一条天皇をつなぐ鎖になればいい、と思っていたのではないかと思います。 『枕草子』は途中から役割が変わったんじゃないかと。いかに定子さまが凄かったのかということを書き残すという使命に変わり、それが自分ができる最後の使命だと悟ったんだと思います。
インタビュー・テキスト by 生田綾