伝説のルンガ沖夜戦で戦った栄光の駆逐艦のその後、そして敗れゆく日本
アメリカ軍の勢いはさらに増し、駆逐艦「涼風」は沈む
昭和19年、戦場は中部太平洋へと移った。 アメリカ軍の"東京への道"は雄大な工業力を背景に、一方ではニューギニアからソロモン群島づたいにフィリピンというこれまでのマッカーサーの陸軍の構想と、他の一方で中部太平洋のギルバート諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島を順に攻めのぼるというニミッツの海軍の新構想とを合わせて、強力に押しひらかれていった。 その第一歩がギルバート諸島のタラワ、マキンへの上陸であった(昭和18年11月21日)。 ソロモン方面にばかり眼を向けていた日本の大本営も連合艦隊もあわてた。戦略の根本的建て直しをせまられる。なぜなら、日本の最後の防衛線である中部太平洋の島々は空洞であったからである。これらの島々をいそぎ要塞とせねばならなくなった。 日本軍の補給と、アメリカ機動艦隊の攻撃予定日の、寸刻をあらそう競争になった。アメリカ軍は2月1日よりマーシャル諸島メジェロ、クェゼリンなどの上陸を企図し、そしてそれに先立って、潜水艦部隊をトラック島を中心とするカロリン諸島一帯にばらまき、日本艦隊の動静偵察ならびに徹底的な通商破壊戦をもくろんだ。 潜水部隊はトラック島周辺を網の目のようにおおった。レーダーは日ましに性能の優秀さを加えた。潜水艦パーミット、スキップジャック、ガードフィッシュの3隻がそれぞれ、トラック島の北、東、南の3つの水道の沖合を監視しつつ哨戒していたのは、19年初頭からである。 1月25日夜、東水道を闇にかくれるようにして出港してくる怪しい艦影をスキップジャック艦長モランフィ中佐が発見した。潜水艦は目標の進路方向に待ち伏せて魚雷発射の機会を狙った。艦影はなにも知らないらしく、真っすぐにアメリカ潜水艦の射点へと近づいてきた。駆逐艦涼風の最後はすべてが闇のなかに消えてしまっている。 スキップジャックは魚雷の命中音を聞いたがそれ以上の詳しい報告はなされていない。涼風もまた無言のうちに沈んだ。戦死231名。これは全員であった。トラック島より内地へ帰る便乗の上等水兵1名が後に救助されたと記録がわずかに告げている。