「月光仮面」は日光仮面だった? 奇異なビジュアルの発想は時代劇から
平時は菩薩のように姿を隠し、悪事はびこるときに参上 「日光仮面」から「月光仮面」へ
そこで川内は「おどる仮面」というタイトルの現代版『鞍馬天狗』のような原案を書き、それは子どもたちが危機に瀕してはどこからか仮面の男が現れて派手なアクションで解決するというものだった。だが、以後の作品でも常に『隠密剣士』の忍術ワザや『水戸黄門』の印籠のようにキャッチーな「目印」づくりにこだわる西村は、この企画にもうひとつそういう覚えやすいフックを設けようと粘った。 西村は、このヒーローが平時は菩薩のように姿を隠し、悪事はびこるときに俗世に降臨する存在と考えて日光菩薩にちなみ「日光仮面」はどうかと提案した。それが議論するうちに、月光菩薩に由来する「月光仮面」がいいのでは、ということになった。そっちのほうが子どもたちに最もアピールする響きではないかということで、ヒーローの名が決まった。
見なれてくれば違和感なし! 予算、人員足りない中で決めた奇異なビジュアル
ネーミングの次は、いったいどういうビジュアルのヒーローなのか、ということになるわけだが、あのあまりにも有名な月光仮面のアジアン・ヒーロー仕様は、はたして誰が描き出したのか。なにぶん後の特撮ヒーロー物のようにキャラクターデザインを手がける専門家がいるわけでもない。 というよりも、スタッフ自体が足りていないありさまだった。そんななかであの月光仮面のビジュアルがいったい全体どういうプロセスで生み出されたのか、そこを生前の西村はじめ関係者に取材してみると、どうやら現場の美術担当であった小林晋こと滝口昭夫と西村が相談しながらあの姿にたどりついたらしい。 それにしても、三日月のマークをつけた白いターバン、白いマスクに白いマント、そして白いオートバイで異形の人がやって来るという発想は(もうわれわれは見なれているから違和感を覚えないだけで)あまりにも奇異である。だが、実はこの初めて出会う奇異さというのは、以後の大ヒットした代表的テレビヒーローにもつながるものがある。というのも、あの『ウルトラマン』も初見したときはあの硬質で無表情なキリコ的ビジュアルに衝撃を受けたし、『仮面ライダー』にしてもバッタそのもののグロテスクな風貌で強烈なインパクトがあった。それらの名だたる人気者の先駆にして、国産テレビヒーロー第一号である『月光仮面』も、ちょっと怖い感じがしかねない東洋的なミステリアスさで統一されているのだった。 (つづく) (映画評論家・映画監督:樋口尚文)