レジェンド・フードファイターの小林 尊が語る引退の舞台裏とこれからのこと「ぼくが求めているのは、お金だけじゃない。フードファイトをスポーツとして扱うこと」
■激闘の末に 後は時間との勝負だった。何らかの理由で試合を延期することはできないかと考えたこともあった。7月に行なうはずだったマイク・タイソンとジェイク・ポールの試合は、タイソンの体調悪化のために11月に延期となっていたのだ。 「ぼくは駆け引きが苦手なんです。アスリートのようにぱっと試合をしたい。これまでチェスナット側は色々と条件を出したり、約束を守らなかったこともあった。それに疲れていたので、もうやるしかないと心を決めましたね」 9月2日、小林はラスベガスで約5年ぶりにフードファイトの舞台に立った。10分間により多くのホットドッグを食べた側が勝利者となる。 小林はこの試合を最後に引退すると決めていた。 「ぼくはウエイトトレーニングをやるときも、これ以上やると筋肉が断裂しちゃうんじゃないか、ぐらいまで追い込むのが好きだったんです。でも今回はこれ以上やるとケガするかもしれないという思いが浮かぶようになった。以前よりアグレッシブさがないと、周囲から気付かれるかもしれない。もう最後にしようと」 舞台に上がったとき、小林は隣りに立つチェスナットを一瞥もしなかった。 「彼との勝ち負けよりも、自分に克つかどうか、しか考えていなかった」 結果は小林が66個、チェスナットは83個。チェスナットの勝利で終わった。 「今までどの試合も全力でやってきました。その中では上手くいかなかった試合もある。それがたまたま最後の試合であっただけ。やりきった感しかなかったですね」 チェスナットの83個については、「83という数字をぼくは想定していなかった。彼は十分準備してきたんだと思いました。すごい記録ですよ」と評価した。 「チェスナットとの試合が決まる前、ぼくは外に出たくない、何もやる気がしない期間が数年間ありました。鬱状態だったのかもしれません。 このまま引退しようか、じゃあ次、何やるんだと自問自答したんです。悩んでも悩んでも答えが見つからない。大会のステージに立って、全力で戦ったら、その時なんか見えてくるかもと思っていた」 でも結局、見えなかったんですと、ふっと笑った。 「競技としてのフードファイトの大会を自分の手で組織したいという思いもあります。フードファイターって栄養、食事の知識が必要なんです。自分で試行錯誤しながら身につけてきたことを後進に伝えていけたらいいなとも考えています」 取材・文/田崎健太 撮影/祐實知明 撮影協力/マールカフェ