レジェンド・フードファイターの小林 尊が語る引退の舞台裏とこれからのこと「ぼくが求めているのは、お金だけじゃない。フードファイトをスポーツとして扱うこと」
■ルールを巡るせめぎ合い 〝シーズンイン〟すると小林はまず、大量の水を飲む。胃袋の容量を確認するためだ。5リットル程度の水を飲むことができた。5年近くトレーニングしていなかったが、かつてとほぼ同量であったことにまずは安堵した。そこから水の量を増やして胃袋を広げていく。 「以前ならば大会の2、3ヶ月前からこうした準備を始めていました。今回は対戦の時期がまだ決まっていなかった。7月4日に行う可能性があったので、余裕をもって今回は、4ヶ月前の3月から始めることにしました」 しかし、小林は7月4日に試合を行いたくなかった。 「『アメリカの独立記念日に日本人のぼくに勝ちたい。外国人に勝ってアメリカ人の誇りを取り戻したヒーローになりたい』というチェスナットの意図を感じていたんです」 ホットドッグはアメリカを代表する食べ物である。だからこそ、ネイサンズは独立記念日に大会を開催していた。この大会で、かつて小林の7連覇を阻んだのが、アメリカ人のチェスナットだった。 その後、小林は契約を断ったため大会から閉め出された。一方、チェスナットはネイサンズと契約を結び、大会に出場を続けていた。 2011年、小林はネイサンズの大会と同じ時刻の試合を主催し、チェスナットを超える世界記録を達成したこともある。チェスナットにとって、小林は目の上のたんこぶとも言える存在だった。 「ぼくは7月4日を避けること、そしてアメリカ、日本以外の第三の国で試合をすることを要求していました」 落とし所となったのが、9月2日、ラスベガスでの開催だった。7月半ば、小林はアメリカに渡っている。南カリフォルニアのビーチタウン、ヴェニスビーチの一軒家を借り、最終調整を行なうためだった。そこで久しぶりにアメリカのソーセージ、バンズを口にした。 「思った以上に食べられないことにびっくりしました。飲み込む力がこんなに落ちるんだなと。(飲み込む力である)嚥下力って、喉、舌の筋肉と関係があるんです。前ならば入ったのが入っていかない。焦りました」 以前はホットドッグを使ったトレーニングは週1回だったが、今回は週3回とした。 「舌の筋肉トレーニングにも力を入れました。舌に押しつけたスプーンを持ち上げるんです。また、飲み込むときに喉が嘔吐反射を起こしてしまう。喉の感覚をマヒさせるため、ソーセージを押しつける練習もしました」 胃袋の大きさは身体の大きさにある程度比例する。また身体が大きければ、喉の通り道も広い。173㎝と小柄な小林が、大柄な外国人を圧倒していたのは、こうした工夫があったからだ。次第にホットドッグを飲み込む感覚が戻ってきた。 フードファイトはボクシングのようにルールが確立されていない。体重別に分類されない上、何を食べるかという食材も大会によって変わる。その意味では、ルールを巡って事前にせめぎ合う異種格闘技戦に近い。最も大切な「ルール」である食材―ソーセージとバンズが決まったのは8月に入ってからだった。 「ぼくは硬くて太いホットドッグが得意。一方、チェスナットは細くて柔らかいのを好んでいました」 小林は喉を広げて飲み込む、チェスナットは咀嚼して飲み込むというスタイルの差だ。また、食材の選択は、どの食品企業がスポンサーにつくかとも関係がある。 「最終的には太くて柔らかいものになりました」 日本では見たこともないぐらい柔らかいソーセージなんですよ、と小林は苦笑いする。 「ぼくが練習していたのは、非常に硬くて太いものでした。そちらのほうが難しい。あえて難易度を上げていたんです。 ところが、試合で使うホットドッグを使ったとき、記録が伸びなかった。食べ方を変えなきゃいけないと思いました。練習すればちょっとずつコツがつかめる。マイナスからのスタートでしたが、どんどん記録が伸びていった」