元気だった娘に突然の余命宣告。震える文字で書いた「ママが一番大好きだよ」これが最後の手紙になった【小児脳幹グリオーマ体験談】
ずっと「いろちゃんの近くに行きたかった」死後1年半の暗黒期
―― そして、2022年3月12日の朝7:10、余命宣告のとおり半年で、いろはちゃんは息を引き取りました。 「最期の頃のいろちゃんは、ちゃんと言葉を話すことはできなくなっていましたが、声をかけたらうなずくことができていました。『お姉ちゃんをスケートの練習に送ってくるね』と声をかけると『うん』とうなずき、薬を飲ませると徐々に呼吸が乱れてきました。私は『薬がうまく飲み込めなくて喉に詰まったのかな? 』と思い吸引をしましたが、喉には何も詰まっていません。心臓は動いているのに、脈が測れなくなり、息が止まりました。急いで訪問看護師さんを呼びましたが、駆けつけた看護師さんから『亡くなってます』と告げられました。 食べれなくなり、しゃべれなくなり、動けなくなり…、1週1週ごとに自由が奪われていくいろちゃんを見ていたので、亡くなる数日前には『もう頑張らなくていいよ。頑張らせてごめんね。自分のタイミングでいきなさい』と話していました。こんなに苦しい思いをして生きているのだったらいっそ楽になってほしいという気持ちもあったので、亡くなったときはいろちゃんが痛みやつらさから解放されてよかったという感情もあったのですが…、その感情と“娘を亡くした”という感情は別ものです。今でもやりきれない気持ちです」(小川蘭) ―― いろはちゃんが亡くなった後、失意のどん底に突き落とされていた小川さん。何も手につかず、眠れない日が続きました。 「いろちゃんが亡くなってから1年半はだれにも会いたくありませんでした。いろちゃんの同級生に会うのもつらくて学校にも行けない、子どもたちのお弁当も作れない、当時2歳だったいちばん下の娘のお世話も満足にできない、何も手につかない日が続きました。いろんな人の励ましの声も、悪気がないのはわかっているのに、どんな言葉も心に突き刺さっていました。『頑張れ』と言われても、立っているだけで精いっぱいでした。夜もほとんど眠れない日が続き、精神的に追い詰められていて、『私の気持ちなんて絶対だれにもわからない』とまわりに対しても攻撃的になっていました。世間に対して負の感情ばかりで、そのときはずっと“いろちゃんの近くに行きたかった”、ストレートな表現をすると“死にたかった”です。それでも生きていようとここまでやってこれたのは、残された子どもたちがいたからです。いろちゃんが亡くなった当時は、三女がまだ2歳で、育児が大変な時期だったことにも救われていたなと思います。長女は私を気遣って、家のこと、下の弟や妹のことをいろいろと積極的に手伝ってくれました。とにかく3人を残していくわけにはいかないという責任感でなんとか生きていました。 子どもたちの受け入れ方もさまざまでした。長女はいろはと同じフィギュアスケートをしていて『いろちゃんが行けなかったところに行く!』と毎日スケートの練習を頑張っています。長女の場合は、いろちゃんとの繋がりであるスケートがあったからこそ、整理できているのかなと思います。 長男は、いまだに仏壇に喋りかけながら泣いていることもあります。いろちゃんの病気のことは長男には伝えておらず(私たちが悪かったのですが、本人に言ってしまう可能性があったため)、突然いろちゃんが亡くなってしまって心の整理に時間がかかっています。 三女は、いろちゃんのことを認識はしているけれど、当時は2歳だったのであまり覚えていないと思います。それでも、いろちゃんが“きょうだい”で“お姉ちゃん”だということは分かっているみたいで、お菓子などを買いに行くと『これはいろちゃんの分』と、いろちゃんのお菓子も選びます。 パパは相変わらず忙しいですが、今でも週末はよく沖縄に帰ってきています。3回忌が終わったあとのパパのSNSには『また手を繋ぎたい。また抱っこしたい』と綴っていました。子どもたちに寂しい思いをさせないように、パパなりにできる限りの行動しています」(小川蘭) お話・写真提供/小川蘭さん 取材・文/清川優美、たまひよONLINE編集部 突然の余命宣告から半年、元の生活に戻れるように治療を頑張っていたいろはちゃんですが、その気持ちはかなわず、いろはちゃんは10年の短い生涯を終えました。小川さんは、いろはちゃんと死別後、何も手につかない、やりきれない気持ちを抱えながら過ごし、残された3人の子どもたちの存在になんとか生かされていたと話してくれました。そして、その後の“小児がん支援”との出会いが、小川さんを新たな方向に導いていくこととなります。 2本目のインタビューでは、いろはちゃんが亡くなって2年がたった現在の心境や、レモネードスタンドの活動のこと、小児がんについて知ってほしいことをお聞きしました。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年4月の情報で、現在と異なる場合があります。