「原子力でしかできないこと」に投資しようじゃないか
地球外生命の発見によって何が起きるかは全く予測がつかない。 だが、人類の科学にとんでもない変化が起きることは間違いないだろう。少なくとも生物学は地球外の生命という研究対象を得て、汎生物学と形容すべき新しい学問に脱皮するだろう。 その汎生物学の知見から、長期的にいったいどのような経済的利益が得られるか、あるいは得られないか、これまた全く分からない。 ●未知は投資に値する、と考える人々 ただし、「得られるとしたら、途方もない利益になる」可能性はある。 このあたりの長期的、人類史的視点に立つ学問と、短期的な人類社会内部の経済的利益の関係について、欧米は比較的はっきりとしたポリシーを持っているように見受けられる。 私は、JUICEやエウロパ・クリッパーから「何があるかは予測もできないが、長期的に必ず利益はある。だから投資しない手はない」という姿勢を感じる。 それは、新大陸を目指した大航海時代から植民地経営の帝国主義の時代にかけての経験から培われた暗黙知なのではなかろうか。珍しい植物を調査し、記録する学問的情熱が、ゴムやカカオなど新たな作物を欧米にもたらした。特にゴムは、絶縁材としての優秀な物性故に、電線の被覆材として全世界をつなぐ通信網の構築に不可欠な役割を果たし、あるいはタイヤの原材料としてモータリゼーションによるモビリティーの革命を下支えした。 帝国主義の時代は、蹂躙された側に数多(あまた)の抑圧と悲劇をもたらした。が、他方では欧米において「未知の世界に出て行くことで、不確実ながら存在するかもしれない経済的利益を取りに行く」という行動原理を確立させたのではなかろうか。 ここで、「では、日本は、確率は低くとも大化けの可能性がある外惑星領域に探査を行わなくてもいいのか」という命題が浮かび上がる。日本は、欧州のJUICEに搭載センサーで協力している。しかし、自らが主体となった外惑星方面の探査計画は、まだ持っていない。 かくして、冒頭に書いた「原子力技術の必要性」というものが浮かび上がってくる。前述したように木星ぐらいまでは太陽電池で行ける。が、そこから先はどうしても原子力技術が必要になる。生命探査が土星の衛星エンセラダスで終わるとは限らない。生命の源はもっと太陽系の外側、オールトの雲と呼ばれている領域にあるという説もあるのだ。どんどん遠くに出て行くためには、どうしても原子力技術が必要なのである。 そして現状では、地球上で原子力技術を維持発展させねば、宇宙で原子力技術を使えない。そもそも、RTGに使うプルトニウム238は、地表の原子炉で製造しているのである。 宇宙、それも外惑星方面に向けた生命探査という比較的限定された分野を考えてみても、原子力技術を放棄していいのか、という命題が浮かび上がる。しかもそれは、未来に向けた人類史的なパースペクティブで考えねばならないことなのだ。 2024年4月、文部科学省は宇宙関連の補助金計画「宇宙戦略基金」の研究開発テーマに、「半永久電源システムに係る要素技術」という名称で、RTGの基礎技術開発を設定した。日本でも一般用火災報知器などで利用実績がある放射性同位体の、アメリシウム241を使用する。4年間で約15億円を拠出。10g規模のアメリシウムを利用したRTGの試験モデルと、熱を電気に変換する熱電変換の要素技術を開発する。 「やっと手を付けたか」というのが正直な感想だ。1997年10月15日に打ち上げられたアメリカの土星探査機カッシーニ――エンセラダスの氷の火山を発見したカッシーニだ――は、打ち上げ時重量5.6トンの大型探査機で、電源のRTGに33kgものプルトニウム238を使用していた。 とはいえ、原子力に対する忌避感が強い中で、10gというような小規模な研究でも立ち上げるのは容易なことではなかったろう。関係者の苦労が推察される。公平を期してリスクも書いておくと、RTGを使った探査機は地上からロケットを使って打ち上げるので、もし打ち上げに失敗すれば、地表に落ちてくる。そして、打ち上げた探査機が地球近傍に戻って来ることもある。地球の重力を使って探査機を加速する技術――スイングバイである。 カッシーニにしても、打ち上げに当っては環境保護団体からの打ち上げ差し止め訴訟に勝訴する必要があった。 打ち上げ22カ月後の1999年8月18日、カッシーニは地球の1171 km上空を通過し、地球の重力で加速して土星に向かう軌道に入った。この時は、「ノストラダムスが予言した1999年7の月の恐怖の大王とは、大量の放射性同位体を載せて地球に落下するカッシーニのことだ」という風説がネットで流れ、米航空宇宙局(NASA)は「カッシーニが地球に墜落することはない」と風説を否定するステートメントを出さねばならなかった。 RTGは、たとえ打ち上げに失敗して墜落しても、壊れて中のプルトニウム238が環境中に放出されないように大変頑丈に造ってある。また、スイングバイにあたっては大変精密な軌道制御が必要なので、地球に落ちる可能性は、まずない。日常感覚では確率ゼロといってもいい。それでも一般の間に不安は残るということを、カッシーニの例は示している。 だが、これは未来に向けて絶対に必要な技術だと私は考える。実利も含めた視点から、日本も外惑星探査をぜひやるべきだ。 エゴイズム全開で自分のホンネを言わせて貰えば、「原子力の罐(かま)をがんがん焚いて、銀河鉄道999みたいに太陽系の外にどんどん進んでいこうぜ」だ。だって、そのほうが楽しいじゃないか。それがアフリカ大陸の隅っこから地球上に広がった生き物である我々の、宿命であり本能というものだ(異論は認めます)。
松浦 晋也