「デ・キリコ展」(東京都美術館)レポート。シュルレアリスムの始まりと呼ばれるデ・キリコの全容に迫る。
伝統的な絵画への回帰
第1次世界大戦後の「秩序への回帰」という雰囲気のなか、デ・キリコは古典作品のオマージュともとれるような作品を制作し始める。彼は1920年ごろから、ティツィアーノやラファエロ、デューラーといったルネサンス期の作品に、次いで1940年代にはルーベンスやヴァトーなどバロック期の作品に傾倒していたと言われる。 上の2つの絵画はどちらも「水浴」をテーマに描かれたものだが、その筆致と画面構成は同じ画家が描いたとは思えないほど異なっている。画像上の《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》(1932)は、古典絵画研究の先駆者であるルノワールの筆致を引用したものであり、印象派的な柔らかい陰影表現が特徴だ。いっぽう、画像下の《風景の中で水浴する女たちと赤い布》(1945)はルーベンス、ベラスケスなど、バロック時代の筆致を参照して描かれており、写実的で生々しい色彩表現が行われている。この絵画の画面中央に描かれた女性はデ・キリコの妻のイーザーだと言われているが、後ろで水浴する女性と比べてみると、遠近感がやや不自然であり、見るものをえもいわれぬ違和感へと導いている。 担当学芸員の髙城は、デ・キリコにとって前衛的な表現と古典主義的な表現は相反するものではなく、彼は常に古典と前衛という2つの美学を持ち合わせている画家なのだと語ってくれた。前衛的なものの中にある古典的なもの、古典的なものの中にある前衛的なものこそが、デ・キリコの絵画世界に独特の違和感と、神秘性・演劇性をもたらしているのであり、それらは彼の熱心な古典美術/技法に対する研究の成果なのだ。
新形而上絵画
彼の晩年の画業と本展は、形而上絵画への回帰とともにその幕を閉じる。1968年ごろから描き始めた「新形而上絵画」シリーズは、自身の作品へのオマージュであり、彼のひとつの到達点であるとも言える。 初期の形而上絵画と同様のテーマを扱っていても、モチーフの組み替えや比較的明るい色彩表現によって、より軽やかで遊び心のある作風となっているのが新形而上絵画のひとつの特徴と言える。デ・キリコの行ってきた引用・オマージュという手法や、明るい画面構成は、のちにポップ・アートの旗手となるアンディ・ウォーホルにも影響を与えたと言われる。 これまで見てきた通り、デ・キリコによる絵画の変遷を線形的にとらえることは一筋縄ではいかない。そのため、今回の展覧会では、制作年代に注目しながら鑑賞してみることをおすすめしたい。同じテーマのなかでも、時代ごとの変化やつながりを自分なりに感じながら見てみていくことで、その作品の面白さや豊かさがより一層感じられるはずだ。デ・キリコの神秘的で、どこか既視感のある絵画世界を堪能できる本展。ぜひ足を運んでみてほしい。
Haruka Ijima