「デ・キリコ展」(東京都美術館)レポート。シュルレアリスムの始まりと呼ばれるデ・キリコの全容に迫る。
形而上絵画の登場人物たち:マヌカン
本展では、様々なヴァリエーションの形而上絵画が展示されているが、なかでもマヌカンは多くの芸術家たちに影響を与えたと言われる作品群だ。元来、西洋絵画において人物像というのは、象徴的な意味をもつ題材であった。しかし、デ・キリコは人物を幾何学的な面や定規などの日用品で構成されたマヌカン(マネキン)に置き換え、モノとして扱ってみせる。強い匿名性を包含するマネキンというモチーフの利用は、第一次世界大戦でモノのように扱われた無力な人間、戦争を引き起こしてしまった非理性的な人間を暗喩しているのではないかと、担当学芸員の髙城は語っていた。 制作年代ごとの作風の変化はマヌカンにおいても感じられる。初期に非人間的な事物として描かれていたマヌカンが、時代が進むにつれて身体性を帯び始めるのだ。マヌカンたちは、ギリシア風のドレスを着せられ、豊満な肉感とともに描かれるようになり、ここには彼が当時関心を持っていたと言われる古典主義や、地中海的理想の影響が強く感じられる。また、《南の歌》(1930)では、ルノワール風の筆致が用いられており、この時代のデ・キリコが形而上的表現を探求しながらも、過去の作家の技法を研究し、取り入れていた様子が見て取れる。
シュルレアリスムの画家たちとの交流
デ・キリコの形而上絵画は、サルバドール・ダリやルネ・マグリットをはじめとするシュルレアリスムの画家たち(シュルレアリスト)に特に大きな影響を与えており、デ・キリコをシュルレアリスムの始まりとしてとらえる見方もあるほどだ。彼の1920年代の作品を集めたコーナーでは、そのようなシュルレアリストとの関係も感じられる作品が並ぶ。 たとえば《谷間の家具》(1927)という作品は、その名の通り室内にあるはずの家具が谷間の中に配置されている。これは、シュルレアリスムの画家たちも多用していた、デペイズマンという手法であり、あるモチーフを本来あるはずのない場所に置くことで違和感を与えるというものだ。しかし、デ・キリコが古典主義的な表現を作品に取り入れ始めたことで、多くのシュルレアリスム画家は彼を猛烈に批判し、1925年頃、彼らは袂(たもと)を分かつこととなる。