身も心も天平人に、先人の意思を受け継ぐ覚悟…正倉院もうひとつの宝物・中
昨年ヒットした連続ドラマ「VIVANT」のロケ地となり、ファンも多く訪れる東京都調布市の深大寺(じんだいじ)。奈良から遠く離れたその寺の収蔵室に、今回の正倉院展に実物が出品される「漆皮八角鏡箱(しっぴのはっかくかがみばこ)」の模造品が保管されている。
八角形の箱の蓋に描かれた鳥や唐草の文様が目を引くが、それだけではない。蓋を裏返すと羽を広げた鳳凰(ほうおう)、蓋を開けた箱の底には空を駆ける麒麟(きりん)がいる。
「動植物が精巧に描かれ、生き生きとしている。技術を伝えようと、模造に魂を注いだ包春の意思を感じ、ワクワクする」。寺の学芸員、赤城高志(70)は箱を手にそう言葉を弾ませる。
「包春」とは、東大寺や春日大社の御用塗師(ぬし)だった吉田陽哉(ようさい)の三男、吉田包春(1878~1951年)のことだ。長男の立斎、次男の久斎とともに、正倉院宝物の模造が本格化した時から活躍し、「吉田三兄弟」と呼ばれた。
模造の歴史は、1875年に東大寺大仏殿で開催された「第1回奈良博覧会」に端を発する。正倉院からも約220件が出品され、初めて宝物が多くの目に触れる機会となった。
これが吉田三兄弟ら職人たちの創作意欲を刺激し、宝物を手本に独自に腕を磨く動きが広がった。立斎らは89年に工房「温古社」を奈良に設立。三兄弟が模造を制作する拠点となった。
背景にあったのは、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)だ。仏教排斥の運動は寺や仏像の破壊を招き、文化財の危機に直面した国は71年、1通の布告を出した。〈細大ヲ不論(アゲツラワズ)厚ク保全 可致(イタスベシ)〉。文化財の大小を問わず、手厚く保全すべきだとうたい、神社仏閣に対し、所蔵する文化財の大規模調査を命じた。
文化財を守るためには国民に価値を知ってもらう必要があるとの機運も高まり、官民で協力して開催されたのが奈良博覧会だった。
20世紀に入り、模造の重要性を突きつける出来事が起きる。1923年の関東大震災。文化財も多く被災し、正倉院の宝物が同様に損なわれる可能性があると危惧された。復興が落ち着いた28年、当時の帝室博物館が模造事業に乗り出し、体系的な模造が始まった。