学びと楽しいが結びつかないと、社会はイージーな方に流れる」QuizKnock伊沢拓司が中高生と向き合って発信するメッセージ
「『問い』を持ち続けてほしい」QuizKnockの願い
──最後に、日本ではプレゼンやディスカッションは長らく苦手とされてきており、少なくとも10数年前の普通教育でこれらが重視されていた印象は個人的にもありません。こうしたプレゼンやディスカッション力の低さは、日本社会にどのような影響を与えているとお考えでしょうか? 伊沢拓司 今日の参加者のプレゼンはみんな上手でした。ただ、各5分という限られた尺ということもあり、用意してきたものの発表で終わったり、質疑応答も欠けている点の指摘に留まってしまうケースもあって、「伝える」という意味ではまだ大きな課題があるというのが率直な意見だと思います。 しかし、何事も一足飛びには出来るようにならないわけで、中学1年生も参加していた本プロジェクトにおいては、知らない大勢の人の前に立つことだったり、学校とは違うヒエラルキーの中に身を置く経験をすることに意味がある。正直、学校という現場では一人ひとりに十分な時間を充てるのには限界があると思うので、僕たちのような人間が学校以外のヒエラルキーに子どもたちを解き放って、そこでの経験を学校へと還元する機会をつくっていきたい。今は学校に多くのことを担わせすぎちゃってるから。学校には学校の良さがあり、そこにないものは外から補うべきです。そうすることで、もっと良い社会になるはずだと思っています。 田村正資 今の教育業界の実情ですと、ディスカッションや探究を行ったとしても、自分ではない誰かが考えた似たようなアイディアを正解のように扱ってしまっている、というのは仄聞しています。今回、3ヶ月におよぶ連続ワークショップを行う中で「ガチ」という言葉がキーワードとして出てきました。JERAさんが温暖化対策にガチで取り組んでいる企業ということから、これを受けて「みなさんはガチで考えていますか?」という問いかけをしたかったんです。 今回のワークショップも正解を出して終わり、ではありません。そもそも、ワークショップをしただけでは二酸化炭素はまったく削減されていませんしね。ここから家に持って帰って、正解を出さずに学んだこと、考えたことを「問い」としてずっと持ち続けてほしいし、問いがあれば探究や議論をすればいい。こういった考えは、「正解を出して終わり」にしてしまう現状に対する我々なりのカウンターとしてずっと意識してたことです。 また、今回参加した学生は熱量も高く、本気で議論を交わしてくれましたが、中には「学校だとちゃんとやると恥ずかしい」とか「友達の前でここまでやると真面目ちゃんイジりをされる」と話す子もいました。でも、QuizKnockが好きな人たちが集まるとどれだけ真面目な話をしても嫌われずに、ちゃんと議論が出来るんですよね。これは当初意図していませんでしたが、伊沢が言うように、QuizKnockというブランドによって、いつもとは違った真面目な私、頑張りたい自分を解放できる場をつくれたというのは面白かったし、今後もワークショップをより良くしていけるだろうと感じる部分でした。 ──言ってしまえば、QuizKnockが”学びのサードプレイス”になっているわけですね。QuizKnockの今後の活動の楽しみです。本日はありがとうございました!
須賀原みち