11年ぶりに夫が帰る。年末にメンタルが落ち込む不安と一緒に過ごせる期待がごちゃまぜに【小島慶子エッセイ】
12年前に夫が仕事を辞めた時、経済的強者になった私は、無職の夫をいじめた。「男のくせに稼ぎがないなんて情けない」「養ってやっている私の方が上」という強烈なジェンダーバイアスと強者意識、そして過去の夫の振る舞いへの復讐心が相まって、言葉の暴力を振るうようになった。それをなんとかしてやめたくて、無職の夫だからできる面白いことはないかと考えた末に思いついたのが教育移住だ。そして夫は主夫として異国の地で新生活を立ち上げ、子育てをやり遂げた。私は家族と離れて一人で家計を支え、遠距離往復子育てをやり遂げた。二人とも本当によくやった。子供たちも素晴らしくよくやった。みんなほんとに偉かった。しかし子育てをほぼコンプリートした夫と私は、今度はどんな共通の目標を持てるだろうか。この日本の地で再び目の前に現れる「長らく仕事を離れていた夫」を私は対等に扱うことができるだろうか。かつて私のメンタルを崩壊させ、苦しみ学習し改心したように見える男を信じることができるだろうか。癒えない傷との共生を決意した私は、本当に変われるのだろうか。再び夫への復讐心を燃やし、言葉と態度の暴力を振るってしまったらどうしよう。あるいはまたメンタルの病が悪化するかもしれない。20年あまり前、生育家族との関係に悩んでカウンセリングを受けている最中に夫の一撃をくらい、私のメンタルは一度死んで、それ以来不安障害という病気はいつも隣にいるお友達となった。ほぼ寛解してからも薬を持ち歩き、調子が悪くなりそうな時はパニック発作が起きる前に半錠飲む。お守りみたいなものだ。そんな病気と私の穏やかな二人三脚生活が、夫の帰国で乱されやしないか。また病気が暴走して、引き摺り回されるようになったらどうしよう。
小島 慶子