ロッキード事件の闇が晴れない日本政治の不幸(下)米の虎の尾を踏んだ?
1976(昭和51)年7月27日、田中角栄前首相(当時)が逮捕されました。戦後最大の疑獄といわれる「ロッキード事件」がセンセーショナルな「総理大臣の犯罪」になった瞬間です。あれから40年。再びロッキード事件が注目を集めています。 【写真】ロッキード事件の闇が晴れない日本政治の不幸(上)「総理の犯罪」の衝撃 ひとえにロッキード事件といっても、その全容と真相はいまもはっきりとしないことが多くあります。ここでは、当時TBS記者としてロッキード事件や田中元首相を取材してきた政治ジャーナリストの田中良紹氏に事件を振り返ってもらいます。 田中氏は、事件の発覚直後からロッキード社の秘密代理人児玉誉士夫を取材、田中元首相が逮捕された際には東京地検特捜部を担当、有罪判決を受けた直後には田中番の政治記者となって田中元首相の私邸に通い、病に倒れた後はワシントンに事務所を構えて米国政治を取材してきました。ロッキード事件が日本政治にもたらした影とはどんなものだったのでしょうか。
日本だけがターゲットになっていた訳ではない
1983(昭和58)年、田中元首相は東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けた。 私が政治記者となって田中の私邸に通い、自重自戒と称して私邸にこもっていた田中の「話の聞き役」をしていた頃、田中は立花氏の「金脈研究」など歯牙にもかけていなかった。むしろ金を自前で作り、財界や官僚の(ひも付きではない)ことを自慢していた。そして中曽根総理は自分を裏切れないと、中曽根総理の力で復権を果たすシナリオを描いていた。 当時、田原総一朗氏が「田中はアメリカの虎の尾を踏んだ」と主張していた。田中はアメリカに頼らない独自の資源外交を行ったためアメリカの逆鱗に触れ、ロッキード事件が仕組まれて潰されたというのである。しかし、前にも述べた通りロッキード事件は日本だけをターゲットにした訳ではない。 アメリカの軍需産業ロッキード社は世界十数か国に秘密代理人を置き、それを通じて政治家に賄賂を渡して兵器の売り込みを図っていた。秘密代理人は日本では児玉だったが、西ドイツでは元国防大臣、イタリアでは副大統領、オランダでは女王の夫の名前などが公表された。冷戦の時代であり、みな児玉と同じ反共主義者だった。 暴露したのはアメリカ民主党の中でも最リベラルと言われたフランク・チャーチ上院議員である。彼はベトナム戦争に徹底して反対し、アメリカがベトナムから撤退した翌年にロッキード社の秘密工作を暴露した。アメリカはベトナム戦争に敗れた反省から「サンシャイン・リフォーム」と呼ばれる政治改革の真っ最中で反共主義の見直しが求められていた。 田中は中国との国交回復をアメリカに先んじて実現し、キッシンジャーの面子を潰したことがある。キッシンジャーは激怒したというが、しかし彼は有罪判決を受けた後の田中を2度も私邸に訪れ懇談している。アメリカは言いなりにならない相手を徹底的に批判するが、しかし同時に一目も二目も置くのである。外交とはそうしたものだと思う。