長崎被爆2世の語り部「恐ろしさを英語で直接伝えたい」…ロサンゼルスで平和活動続けた叔父の遺志継ぎ講話
長崎原爆の被爆2世で語り部の石田久美さん(62)(長崎市)が今秋、米ロサンゼルス(LA)を訪れ、学校で被爆に関して講話した。「原爆の恐ろしさを英語で直接伝えたい」。そう考えて訪米に踏み切ったのは、昨夏に亡くなったLA在住で被爆者の叔父への思いがあった。(野平貴) 【写真】自身の作品の前に立つ坂田英夫さん
「若い世代に平和を訴求できた」
「話を聞いて、核兵器をなくしたいと言ってくれる生徒もいた。アメリカの若い世代に平和を訴求できたと思う」。石田さんは10月下旬、長崎市内で今回の訪米を振り返った。
講話はLAの女子高「ウエストリッジ・スクール」で9月下旬に行った。「今から原子爆弾について話します」。英語でゆっくりと語り始めると、約30人の生徒らが真剣な表情で聞き入っていたという。
父親の山田繁人さん(92)は中学1年の時に爆心地から約7キロの長崎市郊外で塹壕を掘っていた際、被爆した。大きなけがはなかったが、別の場所で作業していた同級生はひどいやけどを負った。
父親の体験や、79年前の8月9日に長崎に投下された1発の原子爆弾で街が焼け野原になり、約7万4000人が亡くなったことなどを丁寧に説明した。
画家の力集め思いつなぐ
講話が実現したのは、LAで平和活動に打ち込んできた画家で、義理の叔父の坂田英夫さん(2023年7月に87歳で死去)の存在がある。
坂田さんは9歳の頃、長崎で被爆した。戦後、美術教諭として長崎市内の中学校で勤務。31歳で渡米し、創作活動に注力した。「平和な世界でないとアートに取り組めない」と、1991年に美術家団体「LELA」を結成した。
「世界中の画家の力を集めることで原爆で亡くなった方の思いをつないでいきたい」。そうした考えから、国際的に活動する画家の作品を長崎県美術館(長崎市)の「ながさき8・9平和展」に20年以上出展してきた。
石田さんは結婚後、坂田さんと縁戚関係になり、LAでも2回会った。平和活動に力を注ぐ叔父を誇りに思っていた。
ロシアのウクライナ侵略が始まり、核使用の脅威が高まると、坂田さんは長く明かさなかった被爆体験を語るようになった。昨夏にはLAで平和に関する絵画の展示イベントを企画。石田さんもオンラインでの被爆講話の依頼を受けた。ただ、坂田さんは講話を聞くことなく、旅立った。