アメリカ人フードライターも「日本の魚焼きグリル」を絶賛…日本の「魚」へのこだわりは、世界から見てもスゴかった
漁業資源に恵まれた国、日本
先の水産庁の記事によれば、2017年の1人当たりの魚介類の消費量は、FAO(国連食糧農業機関)の調査で世界3位。1位は韓国、2位はノルウェーだった。1961年はダントツで世界1位。回転ずしが世界中に広まったことからもわかるように、日本人の魚介離れだけでなく、世界各国で魚介の消費量が増えたことが、相対的に日本の地位を下げている。 日本の周辺を含む太平洋北西部は、世界で最も漁獲量が多い海域である。『ディスカバー・ジャパン』のウェブ記事「海に囲まれた日本の漁獲量」(前後編ともに2022年年4月17日配信)によれば、2019年時点でこの海域だけで世界の漁獲量の約4割を占める。世界に127種ある海生哺乳類のうち50種、約1万5000種の海水魚のうち約3700種が日本近海にいる。その海水魚のうち固有種が約1900種、食べられる種類だけでも400~500種が生息しているのだ。 日本の近海が海洋生物に恵まれているのは、沿岸に暖流の黒潮と寒流の親潮がぶつかり合う潮目があり大量のプランクトンが発生するため、両海流に住む多様な魚介類が集まることが大きい。 降水量が多く国土の約7割が森林という日本では、湖や川などの魚介類も豊富だ。一方で、森林が貧弱になると海に流れ込む栄養も減る。昭和時代に森進一が襟裳岬は何もない、と歌ったことが地元の人たちをいたく傷つけ、資源回復に努めて成功した物語は、2003年にNHKの人気ドキュメンタリー番組『プロジェクトX』でも放送された。2021年に放送された朝ドラの『おかえり、モネ』(NHK)では、物語の前半で海を豊かにするため森に木を植える活動をする漁業者(主人公の祖父)が描かれていた。
魚の鮮度を保つための試行錯誤
日本では、古くから獲りたい魚介類の性質に合わせた漁法が発達してきた。特に魚介資源が豊富だが潮流が複雑な、瀬戸内海での発達が早かった。『魚食の民』(長崎福三、講談社学術文庫)には「灘もあり、瀬戸もあり、六〇〇をこす大小の島々が点在し、変化に富む海には多種多様な魚貝が棲息している」とある。魚だけでも600種、イカ・タコ・貝類を含めると1000種もいるのだ。 徳川家康が江戸城に入ってから、摂津の佃村(現大阪市西淀川区)から江戸へ移り住んだ漁民が、幕府からの経済的援助と漁業特権を受け、佃島を拠点に漁業を行ったことが知られている。また、房総や相模では、紀州から移り住んだ人たちがイワシ漁などを行った。三陸のカツオ漁も紀州出身者が漁法を伝えている。このように、江戸時代には先進地域から全国へ散らばり、漁業の発達に貢献した人たちが大勢いた。 そんな日本は、食材の保存技術が発達すると、流通管理も発展させた。欧米で開業しようとしたシェフが、現地は魚の鮮度が低い、と嘆く様子が時折テレビのドキュメンタリー番組で放送される。数十年前まで生の魚をほとんど食べなかった地域と、長年刺身を愛好してきた地域の違いではないか、と私には見える。何しろ今の日本では、海なし県でも、新鮮な魚介類を集めるスーパーが出現するほどなのである。 鮮度を保つ技術を発達させた産地の物語も、しばしばドキュメンタリー番組の題材になる。佐賀県の呼子や山口県の隠岐が、自慢のエビ・イカをどのように東京まで運び鮮度が高くなければできない透明な刺身で提供した、といった話。ここ数年、漁業を取り上げる番組で、よく紹介される神経締めもある。テレビで見ていると、漁船で釣りたての魚に漁師がワイヤーを通すと、それまで尾鰭をバタバタさせもがいていた魚が急に静かになる。神経を壊すことで死後硬直までの時間を延ばし、鮮度が保つ方法だ。あの手この手で鮮度を保ち、おいしい魚を食卓へ届ける試みが各地で行われ続けているのが、日本である。