「“わからない”を小説で問う」木下昌輝×朝井まかて『愚道一休』
二人の関係
――お二人は大阪文学学校のご出身ですが、木下さんが通われたきっかけを教えてください。 木下 ライターの仕事が少なくなってきたんで小説を書こうと思って。そのときたまたま大阪文学学校の広告を見て、当時の職場から近かったんで行ってみたら、田辺聖子さんと同期の人がチューターをやってたんです。その人が、僕が提出した作品を読んで、「君は直木賞を獲 ( と ) れる」って言ってくれた。それでちょっと天狗 ( てんぐ ) になりました(笑)。 朝井 文校はそれまで、芥川賞作家しか輩出してなかったもんね。 木下 それが「タイトルさん」っていう、テレビのテロップを手書きで作る職人の話でした。新人賞に出したら二次までいって、その次に書いた「宇喜多の捨て嫁」で受賞できたんです。 朝井 「タイトルさん」は何時代の話? 木下 昭和ですね。 朝井 木下君は、昭和は書けへんの? 木下 書きたいですけどね。 朝井 昭和、今朝も書いてきたけど面白いよ。 ――そろそろ昭和も歴史小説の範疇 ( はんちゅう ) に入ってくるかなという気がしますよね。さて、お二人が対談をされるのは約十年ぶりとのことですが、久しぶりにお話ししてみていかがでしたか。 木下 十年前は公開イベントでお客さんがいたんですけど、いつもはスベるようなところが、まかてさんのおかげでめっちゃウケた記憶があります。 朝井 たまには役に立つ。 木下 あのときはまだデビューして二年目ぐらいで、自分のことでいっぱいいっぱいやったから、またいつかまかてさんとやれたらいいなと思ってたんです。今回、久しぶりにまかてさんと小説の話をさせてもらって、僕ももっと頑張らなあかんなって思いましたね。 朝井 あら、そんな殊勝なことを。お珍しいではございません? 十年前は切れっ切れやったのに。 木下 どういうことですか。 朝井 もう、どこまでもいったるぞ! みたいな。その感じはその感じで魅力的でした。けれども、今はキャリアを重ねて、心が据わらはったなって。それは作品からも伝わってきます。決して上から目線ではなくて。 木下 全然大丈夫ですよ、上からで(笑)。 朝井 いやいや、めっそうもない。今日は本当に楽しかったです。 木下 こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。 「小説すばる」2024年7月号転載
集英社オンライン