維新・吉村洋文新代表、永田町文化ぶっ壊す「飲み食い政治」との決別宣言 橋下徹氏が嫌う「古い政治」の象徴「国対政治」に意義は?
【ニュース裏表 有元隆志】 日本維新の会の新代表に選出された吉村洋文大阪府知事は1日、臨時党大会での演説で「永田町の『飲み食い政治』『古い政治』のやり方は決別したい。新しい政党として永田町文化をぶっ壊す。そういう政党を目指したい」と強調した。有言実行を期待したい。 【写真】橋下徹氏、斎藤知事の「権力行使、批判続ける」 ここで吉村氏が言う「古い政治」の象徴が「国対政治」だろう。 自民党が長期政権を築いた「1955年体制」下では、自民党と、野党第一党の社会党による「国対政治」が全盛期だった。国会対策委員会は国会の正式な機関ではないが、各党とも他党との折衝にあたる中心的な存在と位置付けた。 予算案や重要法案をめぐって表向きは対立しているかのように見えて、裏では自民党と社会党が握っていたこともあった。自民党の国対幹部は野党の国対委員長らを料亭などで接待したほか、高級紳士服の仕立券を贈ったこともあった。与野党夫婦そろって海外視察に出かけ、親睦を深めたりした。 55年体制が終焉し、以前ほど料亭を使ったりすることは少なくなったが、いまでも国対政治は続いている。 国対委員長経験者の大島理森元衆院議長は日経新聞の「私の履歴書」で「全体を見渡し、互いが合理的に譲り合うことは絶対に必要であり、それが国対の役割だ。ものを言うのは日ごろの人間関係であり、SNSだけでは絶対にできない仕事である」と、「国対政治」の意義を強調していた。 最近では、自民党の森山裕氏(幹事長)の通算在任期間が過去最長の1534日に達した。カウンターパートだったのが維新でいえば遠藤敬氏であり、立憲民主党では安住淳氏(衆院予算委員長)だった。 「飲み食い政治」の追及を始めたのは、維新の創設者でもある橋下徹元大阪市長だ。橋下氏は11月1日の関西テレビ番組で、10月27日投開票の衆院選で維新が比例票を300万票減らしたことについて、その原因を「飲み食い政治の弊害」にあると指摘した。 橋下氏は「飲み食いで人間関係をつくるとか、人脈をつくるとか、誰と連絡ができるとか、本当にしょうもないことばっかりやっていたのが今までの国会。政策をつくるとかじゃなくて、永田町での大物政治家ぶるそういう生活をしたいのかなって感じてしまった。僕が嫌いな政治のスタイル」と語っていた。