2006年夏にあった斎藤佑樹“もうひとつの激闘”!早稲田実vs.日大三、西東京大会決勝【東西東京大会50周年物語⑤】
早実vs.日大三、ハンカチ王子・斎藤佑樹“あの夏もう一つの激戦”
夏の東東京大会では、帝京が優勝した。6試合で48盗塁と走りまくってつかんだ甲子園出場だった。 西東京大会では、早稲田実が初戦の都立昭和戦で苦戦。9回に敵失から3-2でかろうじて勝利した。日大三も早稲田実も準決勝に勝ち進み、準決勝では日大三が福田秀平のいる多摩大聖ヶ丘に10―2で圧勝。早稲田実は春に負けた日大鶴ヶ丘に苦しみながらも5-4で勝ち、決勝戦に進出した。 7月30日の日曜日。神宮球場は超満員の観客で埋まった。試合は序盤日大三が3-1とリードしたが、早稲田実が中盤に追いつき延長戦に入った。 延長10回も1点ずつを取り合い、11回裏一死三塁から5番・船橋悠のサヨナラ適時打で早稲田実が西東京大会では初の優勝を決めた。この夏、当時ソフトバンクの監督だった王貞治は、ガンの手術のため、神宮球場から近い慶応病院に入院していた。偉大な先輩に届ける優勝であった。この試合、斎藤佑樹は221球を投げて完投した。この夏のハンカチ王子伝説の始まりであった。 この試合をきっかけに、早稲田実と日大三のライバル対決が注目されるようになった。しかしそれは、ライバル対決の始まりではなく、復活であった。戦前の東京で全国大会に出場しているのは、慶応普通部、慶応商工という慶応系と、早稲田実と日大三だけだ。慶応系は戦後神奈川に移っているので、戦前から甲子園に行っているのは早稲田実と日大三だけになる。日大三の町田市移転で東西に分かれたが、早稲田実の国分寺市移転で、また復活したことになる。 甲子園では、早稲田実は大会初日に登場し、13―1で鶴崎工を破ると、2回戦では中田翔(現中日)を擁する大阪桐蔭を11―2で破った。斎藤は中田から3三振を奪い、一躍大会の主役になった。 早稲田実が大阪桐蔭を破ったのと同じ日、2回戦から登場する帝京の試合もあった。東東京大会では機動力が目立った帝京だが、この試合では4本の本塁打で広島の如水館を10―2で破った。3回戦では帝京は福岡工大城東を延長10回5-4で下し、早稲田実は福井商を7-1で破った。 準々決勝の帝京・智辯和歌山戦は、まさに伝説の一戦になった。4-8とリードされた帝京は、9回表、投手の大田 阿斗里に代えて、東東京大会を通じて大会初打席の沼田隼を代打に送る。沼田は三ゴロに倒れたが、この回の帝京の猛攻で、再度打席が回ってきた沼田は、3ランを放ち、この回一挙8点を入れて勝ち越した。しかし帝京は投手がいない。1年生の遊撃手・杉谷まで登板させたが、最後は押し出しでサヨナラ負けした。12-13の壮絶な試合は、この大会最高の名勝負になると思っていたが、さらなるドラマが待っていた。 早稲田実は日大山形に苦戦したが逆転勝ちし、準決勝でも鹿児島工に快勝した。そして3連覇を目指す駒大苫小牧との決勝戦。田中 将大(現楽天)は3回途中から登板。斎藤は先発完投し、延長15回を投げ切った。斎藤は178球を投げ、田中は165球を投げて、1-1。延長15回引き分け再試合になった。決勝戦の引き分け再試合は、69年の松山商・三沢の延長18回0-0以来となるが、今日、決勝戦でもタイブレーク制度が適用されるため、最後の引き分け再試合になった。翌日の再試合でも齋藤が118球を投げて先発完投。4-3で勝って早稲田実が夏の大会の初優勝を決めた。9回表駒大苫小牧の最後の打者になったのは田中将大。斎藤は田中から三振を奪い、ドラマチックな夏が終わった。 《鈴木誠也、清宮、オコエらスターが駆け抜ける、時代を彩った名将が去る……東京の高校野球は新時代に【東西東京大会50周年物語・最終回】に続く》